bad anima 森園 勝敏
(CD再発) KING RECORD KICJ 2205 2,000円 |
All Songs Arranged by KATSUTOSHI MORIZONO except "Dear Harvey" by DAISUKE KUME &KATSUTOSHI MORIZONO Horn Arrangement by SATOSHI NAKAMURA Produced by SHIGEYUKI KAWASHIMA, KATSUTOSHI MORIZONO Recorded & Mixed by RYOJI FUKUSHIMA Assistant Engineer : KOICHI SUZUKI Recorded at King Studios, 14〜30 Oct. 978 This Album was Mixed with the Aphex Aural Exciter (2,6) Special thanks to YAMAHA, Morizono Family, Shigeru Nagasawa, Katsuro Hatsukawa Very Special thanks to NOBUYUKI YOSHINARI (Taiyo Music, Inc.) Photos by AKIRA AIMI Re-mastering Engineer : SEIJI KANEKO (King Record) katsutoshi morizono (electric guitar, accoustic guitar, vocales, solina) daisuke kume (accoustic piano, electric piano, solina, mini moog) satoshi nakamura (tenor sax, accoustic piano, hammond organ, mini moog) koki ito (1,2,5,6) (mini moog, polyphonic synthesizer, solina, hammond organ) ryoichi akimoto (fender bass) rei ohara (3) (fender bass) muneo sagara (drums, percussion) shuichi murakami (3,5) (drums, synthesizer drums) mack suzuki (percussion) yosuhisa shirao (1) (alto sax) horn spectrum satoshi nakamura(tenor sax, soprano sax) ichiro nitta(trumpet, trombone, flugel horn) junichi kanezaki(trumpet, flugel horn) |
ライナー・ノーツ |
“ANIMA”は、「生命、魂」といった意味を持つラテン語。そして、“BADANIMA” は、人間を含むすべての生き物に共通する本能的な部分、あるいはそうした要素を意味する。 まさに、“本能的”と言える森園勝敏の音楽性は、この初めてのソロ・アルバムのいたるところに感じられるはずで、そこには、単にギタリストとして、あるいはヴォーカリストとして以上の彼の個性があるのだ。 日本のロック・グループが地道ながらも演奏活動を続けて、次第に支持層を広げてきた過去数年間において、明らかにひとつの歴史が形成されている訳だが、そんな中で、森園は四人囃子のオリジナル・メンバーとして、またヴォーカリスト/ギタリストとして活躍してきた。常に“オリジナリティ”を問われ続けている日本のグループの中で、森園のギター・ワークは、彼の作曲能力と共に高く評価され、その個性を確実に築き上げている。 そんなところが、この23才のアーティストの魅力であり、無限の可能性を感じさせるのではないだろうか。 世界的に浸透しつつある事を否定できない“クロスオーバー”への関心が日本でも一般的に高まってきた頃、森園はプリズムのメンバーと意気投合し、こと“急進的”なグループ、プリズムのメンバーとして活動し、それまでの音楽性に一層深味を加え、柔軟なプレイを聞かせてくれた。 プリズムは、明らかに最も現代的な一面を強調したグループであり、アイディアに溢れたエネルギッシュなメンバー和田アキラ、渡辺建、鈴木徹、伊藤幸毅、久米大作によって構成されており、森園の参加は彼自身にとってと同時に、グループにとっても非常に有意義な事であったと言える。 そのプリズムを離れる事によって、森園が自分なりの解釈による新しい音楽を創造する方向へと進んだ結果がこのアルバムである。 ひとつには、プリズムというグループのコンセプトでは表わせない森園の音楽観を自由に表現する上でまたギタリストと同時にヴォーカリストである事を再確認する上でこのアルバムは、プリズムとは違った視点から“クロスオーバ”へのアプローチを試みていると言えるだろう。 森園の場合、背景にあるのは明らかにロックであり、それは既にブルースを内含している。現在、クロスオーバーと呼ばれる範囲の音楽がひとつのジャンル化しつつあるとすれば、森園の創り上げる世界はおそらくそうしたとらえ方さえも否定せざるを得ないのかも知れない。 ギターという楽器の親しみ易さから、あらゆるタイプのギタリストが注目を浴びている最近の状況の中で“オリジナリティ”を感じさせる数少ないギタリストのひとり、それが森園勝敏だ。そして、このアルバムには、ギタリストとして以上の、彼の“本能的な”音楽性が反映されている、と繰り返しておこう。 ここで森園勝敏の簡単なバイオグラフィーにふれておこう。 1954年2月18日、東京・中野区鷺宮生まれ。 小学校5年生の頃、ベンチャーズを聴いてショックを受けたのがポピュラー音楽との出会いである。そして、それはそのまま、翌年に手に入れたアコースティック・ギターによってさらにエスカレートし、中学校に入るとすぐにザ・ウインズなるフォーク・グループの結成へとつながっている。この、ザ・ウインズは、PPM(ピーター、ポール&マリー)やキングストン・トリオなどの曲を主なレパートリーとしていた。 間もなく、ザ・ウインズのアコースティック・サウンドに物足りなくなった森園は、借りもののエレクトリック・ギターでベンチャーズ風のバンドを始める。こうして、エレクトリック・サウンドヘの興味が増すにつれてビートルズ、スペンサー・ディヴィス・グループ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス等に夢中になり、“ギタリスト”としての決意が固まってくる訳である。 そうするうちに、彼が中学3年の時、年上の仲間に誘われて出場した"ライト・ミュージック・コンテスドのゲストだったモップス(注:当時人気のあったグループ・サウンズの雄!)に刺激され、この頃からプロのミュージシャンになろうという意識が芽生え始めた。 高校に入ると、“ザ・グループ・サウンズ”なるグループを結成するが、途中で転校、夜間部に通うかたわら昼間は英会話のレッスンを開始する。こうするうちに、岡井大二と出会い、新しくグループを結成しようと、ベーシストを探し、中村真一を加えてザ・サンニンをスタートさせた。これが四人囃子の前身である。キーボードの坂下秀実が参加して、正式に"四人囃子"としてのデビューを飾ったのが、1971年5月の東大五月祭であっ た。 その後、1972年から翌73年にかけてコンサート活動を積極的に行なった後、1974年には東宝レコードのタム・レーベルから最初のアルバム「一触即発」を発表している。四人囃子は、その後メンバー・チェンジを経ているが、1975年の夏に"ワールド・ロック・フェスティバル"に参加した事を始めとして、森園個人の活動が活発になった結果、1976年5月に発表された2枚目のアルバム、「ゴールデン・ピクニックス」の録音終了後しばらくして、四人囃子を脱退する事になるのである。 結局、四人囃子として森園が録音に参加したものは、アルバム「一触即発」、東宝映画「二十歳の原点」サウンド`トラック盤、シングル“空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ”、アルバム「ゴールデン・ピクニックス」、シングル“レディ・バイオレッタ”といった作品群で、他には横須賀出身のグループ、ジュリエットのLP「ヨコスカ・ベイ」に参加している。 1976年後半になって、プリズムとの交流を深め、ライヴ・スポット等での活躍を重ねた後、プリズムの正式メンバーとして2枚目のアルバム「セカンド・ソウツ/セカンド・ムーヴ」に参加。この頃、フォー・ライフ・レコードから発売されたギター用教則レコードの制作にも関わったりして、活発な動きを見せるようになっている。 1978年半ばには、しかしながら、プリズムの3枚目のLPの制作を前にしてグループを離れる事になり、ソロ・アルバムの構想を考え始める。 こうして、制作を開始したレコーディングには、旧友達が参加しており、初めてのソロ・アルバムに対する意欲的な態度は、そのままサウンドに表われているのがわかるだろう。
* 曲目解説 (Nov. 1 1978 吉成伸幸) |