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フライヤーのテキスト(原文のまま)

四人囃子

1971年からライブ活動を開始し、74年に歴史に残る傑作アルバム『一触即発』でデビューした1970年代日本のロック創世記を代表するバンド。
当時のメンバーは森園勝敏(G)、中村真一(B)、岡井大二(D)、坂下秀実(Key)。その後、中村が脱退。代わりに佐久間正英(B)が加入。続いてセカンドアルバム『ゴールデン・ピクニックス』を発表した(今回のライブはこの当時のメンバー)。
その後、森園が脱退し、新ギタリストに佐藤ミツルを迎え、合計6枚のオリジナルアルバムの他に数枚のライブアルバムやDVDを発表した。
2001年12月には5枚組全曲未発表CDボックス『From The Vaults』を発売。その驚愕の内容は当時からのファンだけにとどまらず、世代を超えて初めて四人囃子を耳にする人にまで、このバンドの偉大さを改めて認識させた。
デビュー当時、プログレッシブロックと表された彼らは、20歳そこそこにして独創的で高度なレコーディングを次々と行い、圧倒的に高い創作能力を発揮
する。その能力は音楽面だけにとどまらず、芸術性の高いレコードジャケットデザインやコンサート活動にまで及んだ。まさにトータルでバンドをプロデュースしていたといえるだろう。
その後、その創作力は四人囃子というバンドの枠さえも飛び出し、数多くの日本のアーティストのプロデュース、サポート、参加という形で広がっていった。彼らが関与したアーティスト達の成功は数字的なものにとどまらず、音楽的な内容においても他を圧倒するものであった。
また、彼らはミュージシャンのみにとどまらず、多くのスタッフ、エンジニア達との交流でも大きな影響を与え、日本の音楽界に多大な足跡を残している。まさに日本ロック史上最大の影響力をもったバンドといえるだろう。
その四人囃子が2002年4月、中心メンバー4人で最強のライブを行なう。活動30年以上経つ彼らの音楽が現在でも新鮮で、そして高いレベルにあることが示されるであろう。

スモーキー・メディスソ

本来のバンド名はSmoky Medicine(スモーキー・メディスン)。オリジナルメンバーは金子マリ(Vo)、Char(G)、鳴瀬義博(B)、藤井章司(D)、佐藤準(Key)。今回はKeyの都合で、メンバーの意向により酒落を入れ“メディスソ”と変えているが、やはりスモキーである。
1972年、Charが17歳の時にバッド・シーンにいた鳴瀬とショックにいた佐藤と藤井、そしてかねてより面識の会った金子などを誘って結成した日本ロック界に今も語り継がれる伝説のバンド。本格的なメジャーデビュー前に、それぞれの音楽的背景を持ち寄り、都内のライブハウスや学園祭などに出演。
活動当時18歳〜24歳という年齢にも拘わらず、大人顔負けの表現力と抜群の演奏技術、そしてステージ度胸は次第に噂に上り、練者中に内田裕也が訪れ、いくつかのロックフェス出演を依頼した逸話がある。
74年までライブ活動をこなし、日比谷野外音楽堂での「日比谷ロックンロール・ストリーク」にも出演。この時、四人囃子とも共演をしている。
同年、音楽的志向の違いからバンドは解散。残念なのは公式アルバムや映像の存在が無いことで、このことが現在、それぞれのバンドで活躍するメンバーの歴史の中で伝説として語り継がれる要因の一つである。
バンドメンバーはごくたまに集まり、これまでもいくつかのイベントに出演はしている。最近では2000年6月千葉県鴨川での「Save The Earth」やO1年7月「北沢音楽祭」に登場。多くのファンが詰め掛けた。また、佐藤を除くメンバーでO1年12月天王洲アートスフィアでの「Char Special Live」にも出演した。
スモーキーのメンバーその後の活躍は、Charはもちろん、金子はバックス・バニー、森園勝敏らとハード・ドライビング・ブルース、鳴瀬はバックス・バニーの後、カシオペアや野獣王国でも活躍、藤井は尾崎亜美、一風堂と多岐に渡る。
四人囃子と時を同じくして活動していた伝説バンドの再現にファンの期待は大きい。

 


5/2 FLIER 表

 

裏面は4月27日のFLIERと同じです