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ロックより忍者だ!

では、第1回目のインタビューということで、幼少期から時代を追ってお願いしまぁす。まずは、幼稚園とか小学校の音楽環境は?お母様がクラシックをというような話しもお聞きしてるんですが

 いや〜、オヤジがクラシック好きだったのね。
お母様の「胎教」という話は?(LP「ゴールデン・ピクニックス」のライナー・ノーツに記されていた話し)
 いやぁ(笑)それはもう冗談だよ、その辺のところは。
じゃあ、特に音楽がいつもあったといった環境ではなかった?
 うん、ただ歌謡曲は聴かない家だったんで、流行歌っていうのはねぇ、聞かなかったんだよ。
 まあ、たまに「アイ・ジョージがいい」とか、それはお祖母さんが言ってたんだけど(笑)「金井克子はヘタだ」とか(爆笑)演歌が好きじゃなかったんだよね、オヤジもおフクロも。
じゃ、むしろ今の我々に近い感覚で・・・
 そうだね、それでクラシックは2人とも好きだから、オーディオとかもオヤジは好きだったみたいで、それでレコードはよく聴いてたみたいだね。
じゃあ、物心つく頃からクラシックが流れていた環境ではあったんですね?
 うん、他の家よりはそうかもしれないけど、でもそんな、きわだててってほどでもないと思うよ。
では、森園さんご自身の音楽ということではもっと後の環境の方が大きいと?
 そうだね。
小さい頃は、音楽というよりも忍者ごっこ?
 忍者ごっこは好きだったね〜(笑)野球もすきだったけどね。
あの頃忍者ごっこというと・・・赤かげ?白かげ?これはボクの世代か・・・
 「忍者部隊月光」だね、やっぱり(笑)
 いや、というのもあったけど、「忍びの者」というのをやってたじゃない?品川隆二で
はぁ・・・
もうちょっとオトナのやつで。そ〜れはよく見てたね。ちょっとエッチなとこがあるのよ(笑)
子供心にそういうのに惹かれたりして?!
(爆笑)・・・そーっと見てた!(笑)

 

ロックにのめりこむ込む森園少年!

エヘン、ここで路線を正して(笑)、最初に聴かれた音楽というと?
 やっぱりベンチャーズ、ビートルズ...ベンチャーズの方が先かな。
 レコード初めて買ったのベンチャーズだからねえ。小学校5年ぐらいの時かな。ここら辺の話しも、いろんな雑誌なんかに出てるのと同じだけど(注:当日は森園さんに関する雑誌・書籍をインタビュー・チームが持参していた)、後から「そういえば」ってのはあんまりないからなぁ。
では、ベンチャーズで目覚めたということで・・・
 だいたいボクらの年のギター弾いてるやつで、ベンチャーズ聞いてないってのはウソじゃないかな。他になかったはずだからぁ。
聴いてどう感じられました?
 いや〜、なんか哀愁があってジ〜ンときちゃってね。
やっぱりカッコイイ?
 カッコイイって言うか、ジ〜ンときちゃったんだよね・・・

 う〜ん、「ダイアモンド・ヘッド」とか良かったよねぇ。今聴いてもねえ、そんな恥ずかしくないんだよ、ベンチャーズは。「テケテケ」とかみんな言うけど、ちゃんと聴くと全然カッコイイよ!ギターの音とかすごくいいなって今でも思うもの。
 鈴木茂さんっているでしょ。彼とたまに話したりするんだけど、「ノーキー・エドワーズの音はすごくいいな」って言うもの。だいたいみんなそう言うね。なんでかっていうと・・・「ペンペン」してない、全然。ねっ?!(笑)

 強く弾くと歪んで、弱く弾くと歪んでないって、これ、いまだになかなかできないの、そういうセッティングが。で、シビレてます、いまだに!

その辺で、日本のとかを聴かれたってことは?
 うん、寺内さんとかはやっぱり・・・
聴かれた?
 うん、聴いたけど、同じギターなのにずいぶん音色が違うなと。
 どっちかっていうと、加山雄三のランチャーズの方が「ぽい」かなっていう...ランチャーズ、けっこう格好よかったと思うんだけどね(笑)
じゃあ、どっちかっていうと海外ものですか?海外物をガンガン聴いたと・・・
 ガンガンっていってもさぁ、子供の頃あんまお金ないからさあ、レコードそんなに買えないでしょ。
 だから1枚のレコードを裏っかわが聴けるくらい聴いてたんだから(笑)ねえ、あの頃は(笑)
友達の借りるとか・・・
 そうだねぇ、借りて返さないとか(笑) その代わりコピーして教えたとか、そんなのあったよね。バーターで(笑)
このころ触られたのはギターですか?やっぱり?
 そうです。ボクの2級ぐらい上の先輩がみんな持ってて、だいたいそんな弾けるようにならないから、家の中に捨ててある。それを取っ替え引っ替え借りてきちゃ、練習したよね。
やっぱりアーコスティック?ガット・ギター?
 いや、エレキ・ギターを。自分で買ったのがアーコスティック・ギターだったな、初めて買ったのは。エレキはねえ、どうせアンプを買えないだろうからと思って。アコギを買ったんだけどね(笑)半年ぐらい新聞配達をしてね。
どこで買われたとか覚えてますか?
 うーんとねぇ、あれはねぇ、帝都無線だったかなぁ、新宿の。
で、雑誌とかLPのライナーなどでは、その頃「ウインズ」というフォーク・グループをやられて・・・
 (笑)やってたってほどやってないんだよぉ
ああ、そうなんですかぁ?
 うん(笑)まあそんなこともやったってこともあったけどね〜
PPMとか?
 うんPPMもやった。一応やって・・・
森園さんがハモリの練習をしたってこともあるんですか?
 う〜ん、まあ一応はやったんじゃないかなあ・・・でもフォーク・ソングはやってないんだ、半年ぐらいだけで。
 アニマルズとかストーンズとかをちょうど中2ぐらい...頃からやりはじめたんだよな。
それがロックに入るキッカケ?
 先輩のバンドに誘われて始めたんだよね。で、その前は、同級生とビートルズとかもちょっとやってたんだけど、なんか、だいたい興味ないんだよな、他の人は音楽に(笑)...
 たまたま女の子が、「レディ・マドンナ」のピアノ弾けたとかってだけで、じゃあ他のもやってみようかっていうと全然、その1曲しかできないってことが年中あったんだね。
 ボクらの2つぐらい上の人が熱心にやってたよね。バンドも・・・
じゃあ、キッカケっていうと、むしろ先程おっしゃっていたベンチャーズを聴いたってことになるんですかねぇ?
 そうだね〜。うん、それで1人でずーっとやってて、それで先輩のバンドでたまたま弾いて、「オーっ!」と言われて、で次の晩みんなでウチに来て「やらないか」と言われて、で「やるやる」とか言って(笑)
ロックをやる動機っていうか・・・みなさん、こう・・・ロックをやると女の子にモテるからって言われますけど・・・
う〜ん、女の子にモテるってのは全然思わなかったね。むしろ逆じゃないかと思ってたんだよなぁ
はぁ〜、でもこれがやはり一番大きな動機ってみなさん・・・子供の頃
(笑)えっ?(笑)あっ、普通に?
ええ、普通の人は(笑)
それより弾きたかったよね。どうーやればあんな風に弾けるんだろうっていうことの方が大きかったよね。

 

バリバリ「アイビー」な森園!

じゃあ、その後はずっとギターですか?
 そうそう、ずっとギターだね。
他のものに色気出したりということは?
 う〜っ、中2ぐらいまではバリバリのアイビーだったのよ(笑)
えっ?ええっ?(笑)
  (笑)トラッドだったのよ。も〜、メンズ・クラブなんか130何号まで全部持ってたぐらいで
じゃあ、もうパンツの裾はダブルにしてぇ、幅は18センチ・・・
 いやいや、16センチ半!(爆笑)
ボタンダウンのシャツ着てぇ〜
 当然!(笑)ボタンダウンどころか、もう「レギュラー・カラーはどっかに売ってないか」みたいな(笑)とこまで行ってた時期があって・・・

 中学の時もバンドやってたんだけど、ドラムやってたヤツがもっとスゴくてさぁ(笑)もうガキのくせにケント(KENT)とか着てるわけよ(笑)。とんでもないヤツで。そいつがドラムやってたんだけど交通事故で死んじゃって、それで大二とやるようになったんだよ。だから大二もそいつのことはちょっと知ってんじゃないかな。

大二さんと付き合うようになってアイビーはやめた?
 ていうか、もう中3ぐらいの頃には滅茶苦茶なカッコになってたね。髪の毛は長いけど裾は細いみたいな(笑)
じゃ、有名な「ザ・グループ・サウンズ」ってのは中3ぐらい?
 そうだね、アイビーをやめてゆく時だね。これは
これは、今おっしゃってたドラムの方とやってた?
 いや、これはねえ、先輩のバンド。
あっ、これが先輩のバンドなんですか。じゃあ、こっちが先、「ザ・グループ・サウンズ」が誘われて入った一番最初のグループでぇ・・・でそのあと・・・
 同級生とやってたのは、まあたまに、やってるってほどやってなかったね。たまに遊びで友達の所で。
バンドというほどでもなくて?
 うん。でもドラムのヤツはなかなかいいセンスしてたんだけどね
どんな曲を?
 まあ、ビートルズが好きだったんだけど、そいつは。リンゴ・スターとかすごく好きだったね。
 エイプリル・フールっていう日本のバンドがあって、それもスゴイ好きだったね。そいつは。
じゃあ、そのあたりをカヴァーしたりとか?
 カヴァーして。うん。遊んでたことあるな。
カヴァーっていうと、森園さんも忠実にコピーしてたんですか?
 そうだね。でも、それはどっちかっていうと「グループ・サウンズ」の方で。ヤドバーズとかアニマルズとか、スペンサー・デイヴィスとか、そんなのばかりやってたかな。
じゃあ、エイプリル・フールをカヴァーしてた時はかなり自由に演奏?
 うーん、そうだよね。やるしかないもんね。2人とか3人とかだと、何にもできないよね。ブルースぐらいしかできないから。ブルースとかよくやってたけど。

 

ブルースと末松康生との出会い!

末松さんのお話では、森園さんがブルース・バンドをやってたということなんですが、それはこの時期?
 それは高校に入ってからだね。
大二さんに会ってから?
 会ったか会わなかったかぐらいの頃じゃないかな。高校1・・・2年だったかな。もう大二知ってたかもね
末松さんと会ったのは?
 うーん、ほぼ同時期だと思うね。
 高2だったと思うんだけど、ボクの高校の時の友達の、森雪之丞っているでしょ、あれの知り合いの竹谷くんっていうのがいたんだけど、彼の紹介でアンダーグラウンドの芝居のバックをやってくれないかって頼まれて、そこで末松さんに会ったんだよ。代田橋の稽古場で。

 1人変なおっさんがいるなと思って、家が中野だっていうから帰りいっつも乗っけてもらって、で仲良くなったのよ。

末松さんそのころコピーライターをやられてて・・・
 そう、南青山でノアって会社で。
会ったとたんに面白い人だった?
 うん、なんかそのおっさんだけ、俺はブルースでやってくれなんて言って、「おっ、ブルースとか知ってんのかこのおっさん」と思って(笑)、「へ〜っ」「いいよ、いいよ」とか言って。

 だって、他の人ブルースとか知らないよね、この時期。認知度、恐ろしく低かったものね。

末松さんって、そういう先見の明というか、時代を先取りするようなところが感じられた?
 末松さん、ジョニー・ウィンターとか好きなんだよね。あとねえ、マイク・ブルームフィールドとか好きで、白人の方が好きなんだよね。面白いね。BBとかも好きだったんだけど、ジョン・リー・フッカーなんかは好きじゃない、というか分かんないって言ってたね。
この頃、すでにオリジナリティが出てきたというか・・・例えばミュージカルのバック頼まれて譜面渡されるわけじゃないんですよねえ?
 あっ、譜面渡されてやったんだけど、なんかダサイ曲ばっかりなんだよね、それが。で、とりあえずその場はそれをやって、あと2回ぐらいやったのかな、そのお芝居を。で2回目の時は全部作ってやったりしたけどね。
「さっちゃん」をいきなりブルースでやってくれと言われたとか・・・
 それはねえ、末松さんだよ。あの頃結構色んな所でやってたんじゃないかな 。
その頃の音源ってないんですか?
 それはねぇ〜、ないんじゃ、ないかなぁ〜
 「ジャン・ジャン」でやった時のなんかも、あったような気がしたんだけどなぁ、録ってないかなぁ・・・でも今やっても似たようなもんだよ(爆笑)、ハモニカが吹けるようになっただけで(笑)
いずれにしても、この時期はもう、かなりブルースに入っていた?
 ボクはもうねえ、中学の3年ぐらいからずっとブルース。ブルースって何だろう、って思い始めたのはその頃だね。
ベンチャーズ、ビートルズ、アニマルズとかきて、そこから・・・
 そう、アニマルズ、ヤードバーズからかな、そっからブルースに入っていくという。それでクリームとか(ジミ・)ヘンドリックスとかに行くという・・・。
 で逆に大二は、ヤードバーズとかをずーっと聴いてきてクリームとか聴いてるから、あんまりショックがないんだよね。
 でもボクなんかは、すごいショックだったよね。そこが決定的に違うみたいだよね。ボクはやっぱり、「な〜んだろな、これは?」って。晴天の霹靂だったよね。
どのあたりを聴かれていたんですか?
 やっぱりヘンドリックスの「レッド・ハウス」はねえ、今聴いても「謎の曲」だよね。何遍聴いてきても、最初に聴いた時と同じようなインパクトがある曲は他にはないんだけど・・・
や っぱり色んな雑誌とか見ても、「レッド・ハウス」がキーワードになってるのが多いよね。みんな、何か感じるんだと思うけど。曲自体はすごく変な曲だよ、あれは。
そこあたりから、オリジナルの、例えば黒人のBBとかぁ、もっと遡ってエルモア・ジェームスとかに行ったということは?
 そういうのも一応聴いたんだけど、なんかピンとこないんだよねぇ。なんかこう、死に損なった爺さんがやってるようなのは。なんかこう、ずいぶん違うなって思って。

 でもオーティス・スパンっていうピアノの人がいたんだけど、その人は入れまくったかな。オーティス・スパンは素晴らしかったね。今でもよく聴いてんだけどね。あんな風にピアノ弾けたらいいなって。
 だいたい12小節でやってるブルースが少ないのよ、黒人の人のは。すごい13小節半とか(笑)すごい変則的なのが多くて、面食らったりして・・・

では、この中3あたりから高1ぐらいの所で、普通のいわゆるメジャーな音楽ではないところに入っていったんですね?
 そう(笑)もうどんどんそっちの方へと(笑)。
 だから、一番熱心にギターの練習したのも高校1年ぐらいじゃないかな。もう毎日弾いてたよね。テープレコーダー壊れても弾いてたね。
練習の仕方は、やはりテープ・レコーダーで耳コピ?
 うん。テープレコーダーのスピード落として、コピーはよくしたね。
練習の時は、アンプ繋がないで?
 アンプなんて持ったのはねえ、ずーぅっと後。アンプなんて持って家で鳴らそうもんなら、大変だったからね。
そうですよねえ。
 フォーク・ギターだって文句言うくらいだからね。
この頃、クラシック好きのご両親としてはどうだったんですか?反応としては?

 まぁ...しょうがないと思ってたんじゃないかなぁ(笑)
みつるさんのお話しでは「ロックは不良だ」と言われたとか・・・

 そう、だから不良じゃないフリをするのが大変だったよね(爆笑)

 

吉浜さんとの出会い!

この頃の交友関係として、囃子ページにもご登場いただいてる吉浜さんがいらっしゃるんですが、お会いになったのは何時?迫水さん(有名なロック・カメラマン)の方が先ですか?
いやぁ、迫ちゃんはずっと後。吉浜くんは、大二と同じ学校だったんだよね。
でも知り合ったのは高校出てからなんだよね。ボクはね。高校出て、その後高円寺のロック喫茶にしょっちゅう行ってた頃だよね。でも、そこも大二が先に行ってたんだよね

 

60年代の日本社会と難解な映画!

ちょっと大げさな質問なんですが、60年代後半の日本はどうでしたか?音楽だけじゃなくて、社会・ファッション・世相などなど何でもいいんですけど。
 ボクなんかは、何をするにしても一応終わりかかってる、っていうか・・・2年ぐらい遅いんだよ。
 だから、中心になってる人は4つぐらい上の人で・・・4つか5つぐらい上の人、ムーブメントの中心になっているのは・・・
音楽的に?
 いや色んなことで。そして、それを垣根から見てる感じだよね。でも、そこにどうにか「のめり込めた」最後の世代がボクらじゃないかな。

 ボクらから下はもう、まるっきり違うもんね。教科書がボクの後で切り替わったよね。戦後っていうのは29年生まれまでを言うらしいよ(笑)。教科書も、ボクらの1級下の子からガラッと変わって、話しもあんまり通じなくなって、みたいな。そういうのあるんじゃないかね。

 すごいジェネレーション・ギャップ感じるんでね。上の人には感じないんだけど、下の人には。いまだにそうかもしれない。それはねえ、幼心に不思議だったんだよね。

最初におっしゃってたのは、何かをやる上で、すでに出来上がってたというのを感じたってことですか?
 うん。なんかやってんだな、あの人達は・・・って。
 何かにアタマきてんだな(笑)・・・っていうのは分かったんだけど、何にアタマきてんのか、っていうのは分かんなかったね。

 で、今考えてもあまりに難しいことやってたよね、あの頃の大人は。それでよくよく考えてみれば、みんな勝手なこと言ってたねって、思うけど...あんだけ勝手なこと言えた頃がみんなうらやましいんだと思うね。

 なんか今は、まわり見ながら言うこと考えちゃうってとこあるから、それはなかったよね。まとまりはなかったけど、言いたいことを言ってたと思うよね。あれはすごくよかったと思うよ。その後、言いたいこと言って失敗したなって思ったのか(笑)、言わなくなっちゃった(笑)みんな。それが可笑しい。

 で、あの頃のことを思い出すと、野坂昭如とかやたら思い出すんだよね。あの人面白かったよね。勝手なこと言って、変なことやってたよねぇ〜。あと赤塚不二雄とかねえ。あんまり美しくないんだよね(笑)。なんかバッチイんだけど、でも面白かったよね。テレビ出てた人も変な人一杯いたよね。

いい意味で活力があった?
 あったね〜。あと久里洋二のアニメーション、いまでもスゴイ好きなんだけど、ああいうのがなくなちゃったよね。

 そういえばね、うちのオヤジは映画関係の人よく知ってて、本人も映画の仕事したかったらしいんだけど、新宿あたりの映画館の支配人からよくタダ券もらってくるのね。
 それで高校の時、アートシアターにタダで入れさせてもらってたんだけど、ある時オヤジが(フェデリコ・)フェリーニ(監督)の「8 1/2」の券をくれて、「見てこいよオマエ」って渡されて、「学校サボってもいいから見てこい」って言われて(笑)、で大二と行ったんだよね。で、わけ分かんなかったなぁ〜(笑)

あれは難しいですよねぇ〜
 「な〜んだろな、これは」と思って。あれでだいぶ煙に巻かれちゃったな〜
 アートシアターは、わけ分かんないなりによく行ってたな。ずいぶん見たんじゃないかな。
その辺から何か影響を受けたってのはありますか?
 ああいう雰囲気じゃないかな、あの頃の。何を言いたいんだかさっぱり分からないんだもん。結局。

 「無情」って映画もわからなかったな〜。理解はしないんだけどずいぶん見たなあ。(ジャン=リュック・)ゴダール(監督)の映画はほとんど見たんじゃないかな。「小さな兵隊」とかって好きで、何遍見てもさっぱり分からないんだけど好きで(笑)...難しいね〜、難しいけど、あのタッチに惹かれるのかねぇ。

映画と音楽表現って似たようなところがあるように思いますけど...影響を受けつつも、映画をやろうという気はしなかったんですか?
 やりたいとも思ったけど、なんかとりつく島がないというか、どうすりゃできるんだろうと思ったから、せめて音楽で参加できたらな、と思ったけどね。
 映画は、ボクの友達が高校の頃やってて、なんかしょうもないの作ってたけど、面白そうだったよね。それの音楽を付けてたこともあるね、そういえば

 

岡井大二との出会い!

大二さんと最初の出会いは、大二さんや吉浜さんの話(四人囃子ページに掲載されている)で間違いないですか?文化祭の練習をしている森園さんを大二さんが覗きに行って、森園さんがベースを弾いてセッションをやった・・・
 最初はそうだったかもね。うん、なんかタコみたいに手のよく動くヤツがいるなと思ってみてたよね(笑)。
 それが1年生の時じゃないかな。その時は、ボクが一緒にやってたのがまだ生きてたんだよ、ドラムの。
最初の印象は?大二さんの。
 「いや〜、手足の長いヤツだな〜」と思ったよねぇ。よく手が動くんだ。
上手かったんですよねえ?
  うまいぃ〜のかどうか〜(笑)上手いとは思っただろうね。
 「あぁ、色々できる人だなぁ」と思ったけど。タメがないなぁとか思った(笑)

 (笑)けど、なんかよく動くヤツだなあと思って。だいたいクリームとか知ってるヤツがいないからね。音楽的な趣味でバンドを作るっていうよりも、あいつは何ができる、あいつは何ができるでバンド作ることが多かったからねえ、その頃は。

高1っていうと・・・60・・・6年ぐらい?
 そうだね。
じゃあ、まだクリーム知られてなかった頃ですね?
 そうそう、ほとんどの人は知らなくて、まあクラスに2、3じゃないかな、知ってたのは。
どうやって情報を得ていたんですか?その頃。
 音楽的な情報? やっぱりボクは、アシベ(ACB)とか見に行って、ゴールデン・カップスとかパワー・ハウスとか、スゴイ好きで。パワー・ハウスはビックリしたよ。「あぁ、クリームだ」と思って。ほんと同じ音だったね、レコードと。
あの頃まだ雑誌っていうのもないですよねえ。
 ないね。ミュージック・ライフぐらいだもん。でも大二なんかは、ヒット・チャートの何年の何月の1位から何位は誰々って分かるようなやつじゃない。俺ぜんぜんヒット・チャート興味ないから、そこで大分ギャップがあったね(笑)
話しをしていて、好みの違いは出ませんでしたか?
 いや、出まくりだよ、それは。だから、最小公倍数っていうか最大公約数でやっていくっていうか・・・重なり合うところがあればできるっていうか・・・
でも一緒にやろうと思った?
 だよね。
森園さんの好みとしては、その頃ブルース・・・
 ブルースとか、そういうのが好きな人はいないから、いないって分かってたから。うん 。
大二さんがビーチ・ボーイズ系がお好きで・・・
 でもねえ、そんなに好きだとは思わなかったねぇ。いま大二が言っているほどには(笑) あいつも色々やってみて、「あぁ俺はこれが好きだ」って分かったんじゃないかな(笑)

 ビーチ・ボーイズ、デーブ・クラーク・ファイブ・・・ デーブ・クラーク・ファイブは死ぬほど好きだよね。なんでだろ〜っていまだにちょっと分かんないんだけどね。デーブ・クラーク・ファイブ、ハーマン・アンド・ハミッツ...好きだよね。

でも、それでも音楽やりたかったから一緒にやり始めたっていうのは・・・
 あとねえ、よく遊んでたんだ二人で、テープレコーダーに録って。アブストラクト・ミュージックみたいのを。遊べるヤツはあんまりいなかったよね、音楽で。
その頃はもうエレキを持ってたんですよねえ?
 うん、持ってた。けど鍋のフタ叩いたり色々やってたよ、あいつんちで。
 あいつんち行くとピンク・フロイド聴かされるんだけど、必ず寝ちゃうんだよね、俺(笑)。もう何10回となく...「神秘」を聴かされて...あいつは一緒に叩いてんだけどね
この話しは後でお聞きしようと思ってたんですけど、四人囃子にフロイドを持ち込んだのはやっぱり大二さん?
 だってボク知らなかったもん(笑)名前すらしらなかったもん(笑)
で、どうだったんですか?やろうやろうで、結局やるようになったわけですよねぇ?
 やるようになったのは、それ聴かされてから2年ぐらいたってからだけど。

 だって、そのころ聴かされたのは、タイコが「ダン・スコスコ・ドン」ってやってて、あと「ヒョ〜」とかいってるだけで(笑)...「う〜ん、なんかニセ・サイケみたいな変なんだな〜」って思った。「うそくせーなこれ」とか思いながら寝ちゃうの(笑)

シド・バレットのいた頃のですよねえ?
 そう、「エミリーはプレーガール」とかあの頃の...なんかぁ、ああいうチャラチャラしたのぼくダメで(笑)、割とグッグっと来ないとダメで(笑)
今だとサイケデリックとか弾けるじゃないですか(笑)
 今はね(笑)
その頃はダメだった?
 うーん、なんかねえ、グッとこなかったねえ、ギター・プレーが。腰が入ってないっていうか(笑)

 だからピンク・フロイドをボクがようやく興味を持ったのは、「原子心母」とかその後ぐらい、かな。でもその後で「ウマグマ」がすごい好きになったんだけど、それはもう、順番がひっくり返ったりで...

その辺はまた後でお聞きしようと思ってるんですけど・・・
 うん、そうだね。で結局、なんでバンドができたかっていうと、ビートルズなんじゃないかな。
ビートルズなんですかぁ?
 結局、真ちゃんにしてもボクにしても、大二にしても、文句無く大好きなのはビートルズ。
そうすると、今の話しからすると、違うんだけれども最大公約数で行くとビートルズ・・・
 やっぱり、ビートルズは誰もが認めるというか、で中村くんなんかはもう、しっちゃかめっちゃかで、もぉ、好きなものが(笑) シー・ライツ聴いてたかと思うと、いきなりジャック・ブルースが好きになったりとか、あの人は面白いよね〜。でもゲス・フー持ってきたのは彼なんだよなあ
流行りましたよね、一時期。
 ものスゴイいいバンドだね。ゲス・フーは。

 

中村真一の参戦!

中村さんと会う前に、大二さんとやろうという話しになってたわけですよねえ?
 うん。「なぁ〜んか、ベースはいないかねえ」みたいな話しはしてたんじゃないかねえ。よく覚えてないんだぁ...
大二さんと遊んでたし、まあこれとバンドやろうかという・・・
 そうそう。
バンドというかどうかわかんないけど、やろうかという・・・
 うん、そうそう。である日、「ミュージック・ライフ」見てたら、「当方ベース・ヴォーカル・ギター自信あり」なんて書いてあって、それがたまたま近所だったわけ、真ちゃんの家がね。
 「あっ、こいついいじゃん、電話しちゃおうよ」って言って、で呼んだんだよね、たしかね。
どうでした?最初、中村さん。
 「ここモク吸って平気?」とか言って(爆笑)
 学習院の制服着たバリバリの野球部員のヤツが来ちゃって、ちょっと違うかな〜とか思って(笑)。

 大二の中学かなんかに楽器運んでやったんだよね、初めて。でバッチリだったんだよね。それで、クリームぐらいしかできないじゃない、3人だから。でバッチリだった!初回にしてレパートリー5、6曲あった、っていうか、「あっ、これイケルじゃん」って(笑)

中村さんのお話では、沢山セッションをやった中でもレヴェルは高かったとおっしゃってます。
 でもねえ、あいつは秋山とやってたんだよ。秋山一将っているじゃない。
はいはい。へ〜っ、そのお話は全然お伺いしてない・・・
 あいつも忘れてんだよね(笑)

 でも秋山くんに会ったら、「中村くんと俺やったことあるんだよね」って言ってたよ。「あいつバリバリ上手いよ」だって(笑)。レヴェル恐ろしく高いよ(笑)

じゃあ、まあ森園さんの方も中村さんでいいかなって?
 いや全然よかったよ!

 ところがねえ、その後何遍かやったらねえ、日本青年館かなんかでコンサート・・・なんだ、インディペンデントとコンサートがあって、やるはずになってたんだけど、来ないんだよあいつ、いつまで経ってもね。そしたら野球の試合かなんかやってて(笑)、「言えよな、オマエ」みたいな(爆笑)

でどうなったんですか?コンサートは?
 試合終わって、もうすぐ引っ張ってきてやったけど、「ないよな〜」とか思って(笑)
まさかユニホーム着たまま?
 ユニホームは一応着替えていたけど(笑)

 

ザ・サンニンの音楽活動

サンニンでも結構コンサートはやったんですね?
 そう、それとかねえ、夏休みにバイトでボクと真ちゃんと、ドラムのヤツは違ったんだけど、千葉の方のゴルフ場に1ヶ月ハコで行ったりしたんだよね。(笑)そんなこともあったよね、そういえば。
大二さんがベースを弾くフリをして立ってただけってのはそのバイトですか?
 (爆笑)あっ、それ知ってる知ってる(笑)キャバレーか何かで、俺もやったけど、立ちんぼでね(笑) でも、それもうちょっと後じゃないかな。
高校ですよねえ、まだ。でもキャバレーとか行っちゃったんですか?
 い、ってた、んじゃないかな、あいつは(笑)
この頃はもう完全にロック活動をしていたんですけど、ご両親はどうでした?

 うーん、なんか、あんまり言わなかったね。オヤジなんかクチ聞いてくれなかったね(笑)、いまから思い出してみれば。
 レコード出して初めてクチ聞いてくれたような気がするね。ようやくクチ聞いてくれて、オヤジの方から。

 あとはもう、「早く寝ろ」とか「ドアが開けっ放しだぞ」とか「便所の電気がつけっぱなし」(笑)とかそれぐらいしか言われないから。

練習しててうるさいぞとかは?
 それはもう、家で大きな音出さなくなってたから・・・っていうのは、一度うちで弾いてたら、裏の家の人が怒鳴り込んできて、オヤジにノコギリで斬りかかってきたことがあるんだよね。それでオヤジ怪我しちゃって、それでボクはしばらく家でギターが弾けなくなっちゃったんだよ。
弾くのちょっと怖くなっちゃって・・・っていうことがあって、だから家では弾かなくなってたのね。これはどこにも話してなかったことだけどね。

 アル・ディメオラが家でギター弾いてたら火事になちゃった、てのもあまり知られてない話しだけどね(笑) ブレーカーが飛んで火事になったらしい(笑)

 

森園楽器遍歴開始!

この頃楽器はどうされてたんですか?
 楽器はねえ、「グループ・サウンズ」の時に買ったんだよ。テレキャスを、コピーもんだけどテレキャスを買って・・・
最初のじゃなくて2台目?3台目?
 それはねえ、2台目かな。

 一番最初にエレキ買ったのは、グレコの「ソリアコ」、グレコ印のソリアコって書いてあって、やっぱりテレキャスターみたいな変な、何とも言えないギターだよ。それのカタログ、この間出てきたんだけど、「グレコ印のソリアコ!」(笑)って書いてあった。

あの頃、アマチュアで始める時はみんなグレコが買えればいい方でしたよねえ?
 そう、それをねえ、安売りの店で9,800円かなんかで買ってね。

 2台目はねえ、「エクセトロ」ってメーカーなんだけど、「テスコ」の輸出向けブランドだったみたいで。「ビグスビー」のアームの付いてるテレキャスターなんだけど、これはねえ、ものスゴク似てた本物に。音も形も。コピーものの中ではダントツに似てたんじゃないかな、いま思えば。
 素晴らしかったけど、誰も知らないねエクセトロなんて。楽器業界の人でも知らないもんね。でもあったんですよ、そういうのが。ちゃんとメープル・ネックでね。
 でボクがそのテレキャスター買って、もう1人のギターの人がSGのを買って、もう何ヶ月もしないうちに、ボクはそっちと交換してもらって、SGの方を使っていたんだけど(笑)

そのグレコのSGを長く使われたんですか?
 そうだね。
サンニンの頃、他の方の楽器は?
 大二、ドラム持ってたよ。赤ダイヤのモダン・ジャズ・セットかなんか持ってた、「パール」の。ドラム・セットは最初から持ったよ、あいつ。
じゃあ、みなさんご自分の楽器を持っていて・・・
 でもアンプはなかったんだよ。真ちゃんもボクも。アンプ買ったのは、バンドやろうって決まってからだな。

 

坂下秀実登場!

で、だんだんこのあたりから四人囃子ぽくなるわけですが、坂下さんは森園さんと先にお知り合いだった?
 うん、高校が一緒だったから。その高校で、なんだっけな・・・そう、さっき言ってた友達の映画のサウンド・トラック作るんで・・・坂下と一緒に作ったんだよ。
えっ、そんなことをやられていたんですね?
 そうそう。で、坂下とは麻雀友達で(笑)、マージャンしたりとかやってて。
 そう、武蔵ヶ丘(高校)でも一度バンドやったことがあって、その時は坂下とは違うバンドだったんだけど、でもまあ、キーボードが弾けるやつがいるんだなと思って。
坂下さんのお話では、ずっとギターをやられていたとか。
 うん、あいつはね。でもたまたまキーボードをやってたんじゃないかな、ボクの見たバンドでは。
やっぱり、ビートルズ?
 う〜ん・・・ボクはビートルズとかフリジット・ピンクとかやってたけど・・・なんせ曲がないから長くできる曲っていうんで(笑)
で、サンニンにキーボード入れようというのは、どういう動機で?
 やっぱり、どうも他の2人の話し聞いてると、「こりゃキーボードがいないとダメだな」って感じだったんだね。
 マウンテンとかディープ・パープルとかも最初3人でやってたんだけど、やっぱりキーボードないとイマイチつまらないし、っていうのがあって。でもキーボード弾けるヤツがいなかったんだよね、周りにも。
 で、「キーボード弾けるのいるから連れて行こうか?」って言って。「じゃあ連れてきなよ」って話しになって連れて行った。
そうすると動機は、いまおっしゃっていたマウンテン、パープルをやりたいから入れようと?
 それともう、トリオっていう形式が頭打ちになってた頃だからね。
そうですね。
 ジャック・ブルースとレスリー・ウェストとバンド作ってやってたけど、もう・・・いま聴くとスゴクいいんだけどね、逆に。
でも時代がそういうのを欲しがってなかったから・・・
もうちょっと後で一時期、キーボードが脚光を浴びる時代になりましたよね。
  そう。うん。でもキーボードでロック弾ける人はいまだに日本じゃあまりいないけど、なかなか。
 だから坂下は苦労したんじゃないかね。そもそもピアノだしね、あいつは。オルガン弾かされるなんて・・・
 こっちは同じ鍵盤だからそんな大変じゃないだろうと思ってるけど、本人にしてみりゃ、初めて弾く楽器みたいな感じだもんね。

 

「御スタ」と取り巻き!

そういうことで御スタ(御苑スタジオ)で、坂下さん呼んで・・・このころ借りて?いたんですよねえ?
 ああ、年中借りてたね。
バイトしたりして?
 バイトしたり、くすねてきたりとか(爆笑)
コアな囃子ファンのイメージとすると、もうこの頃は杉並では有名で、取り巻きもたくさんいて、みたいな・・・
 それはねえ、坂下の朝の「ドングリ拾いの会」とか(爆笑)
えっ?(爆笑)
 あいつそんなことやってたんだよ(笑)
そんなのあるんですかぁ?
 あるみたいだよ、ボクは行かなかったけど(笑)関町公園でドングリを拾う会!
 で、大泉に、森雪之丞っていうのがいて、そいつが自作レコードを御スタで録ったんだよ。それをボクなんかがいて録ったりとか、あと大泉に単独呼ばれてギター弾きに行ったり・・そんなことしてたんだよ。
森雪之丞さんって、ちょと色々あるみたいで私もどう書いていいか弱ってるんですけど、ご自身の本のあとがきか何かに、四人囃子のゲスト・ヴォーカル(?)とか、元メンバー(?)とか書かれてるみたいなんですけど。
 それはないね。それは、はっきり言っときますけど(笑)。メンバーにした覚えは一度もないです。まあねえ、売れた人だからねえ、出世頭だもんね彼は。
じゃあ、かなり親しくされてたことはたしかなんですね?
 あれ?末松さん言ってなかった?雪之丞が作詞で食う時に、親を説得に行ったのが末松さんなんだよ。
えっ?そうんなんですか?
 (笑)だって、雪之丞は、上智の英文科かなんか入って、ところが作詞とかで食いたくて、親を説得できないわけよ。
で末松さんが言いに行ったんだよ。それでねえ、平尾昌晃かなんかのところに紹介して、で始めたんじゃないかな。当たったからよかったけどね(笑)

 

サウンド・マンとエフェクト!

では、四人になって何か変わったか?バンドとしてどうなったか?ですが・・・
 何か楽になった面もあるし、思いっきり音をでかくできなくなったこともあるし(笑)
四人でやると音が回りますよね、スタジオの中で。
 回るんだよね〜。それでキーボードが聞こえないんだよ、うーん、それはずーっと悩みだったね、キーボードが聞こえないのは。
 今でも思うけど、日本っていうのはサウンド・マンがいないよ。いまだにだけど。
 バンドが伸び悩むのはそのせいじゃないかと思うぐらいだけど、ホントにサウンド・マンがいないから、ボクがなろうかなと思ったことが何度もあるよね。今でも思う時あるけど・・・
四人囃子ってミキサーさん付いてましたよねえ?
 うん、河合くんね。ミキサーさんっていうか、リバーブ係みたいな(笑)
でもミキサーさんがいるの珍しかったですよねえ?
 そうだね。でも彼がいないとできないこと結構あったからな。テープ使ったりとかやってたからね。
やはり必要だった?
 うん。フロイドの曲やるんでテープをこしらえて、自分たちで。
 あれは面白かったね。うん、あの頃一番面白かったかな。ピンク・フロイド大阪にまで見に行ったりしてね。いや〜、いい音だったよね。
レズリー(・スピーカー)も作られた?
 レズリーはねえ、いや簡易レズリーみたいの売ってたの。
 回るモーターとスピーカーしか入ってなかっくて、アンプは別に用意しなきゃなんないんだけど。それを使ってたかな。
 フェンダーのと同じやつだね、レズリーの一番安いやつだけど。
やはりサウンドにはこだわっていた?
う〜ん、新しいもの使いたかったってとこあるよね。なんせ楽器が高すぎたよね、当時。ほ〜んとに!いま安いよね。スゴイ安い。だってストラトなんて当時より安いもんね、今。一番安いの8万ぐらいでしょ。

 

インプロヴィゼーションと『都立桃耳高校』

話しをちょっと戻しますけど、四人になって、まあ音がぶつかるとかキーボードが聞こえない以外に、例えばフロイドができるようになったとかも、四人だから?
 それは、そうだよね。
3人から4人になったってのは・・・
 大きいでしょ、それは。それでようやくアンサンブルっていうのを考えるようになったぐらいだから。
演奏曲やスタイルも当然変わったわけですよねえ?以前はどちらかというとインプロヴィゼーション?
 うん、でもねえ、インプロヴィゼーションをやってて、そういうのを人に聞かせたことはそんなにないんだよね。
 だからクリームとかは、高校生2年生ぐらいの時だけで、あれは大したもんだったと思うけど、ボクもテープとか持ってないけど、すごかったんじゃないかね、あれは。
 この間、何とかさんの本があって、それ俺達のこと書いてあるんだよね。
あぁ、群ようこさん?!(『都立桃耳高校』)
 そうそう。群さん。あれ、ああ俺のことかいてあるじゃない(笑)
 あれはまさにあの通りだよね、あの頃の感じだよね。「これそのままやんけー」(笑)。ビックリしちゃったけど(笑)

 

四人囃子のデビュー!

このあたりで森園さんがヴォーカルを取るようになった?
 それはもうねえ、仕方なくだよ。他の人がやんないから。しょうがなくボクがやってただけで。ないとどうにもなんないもんね。インストの曲ばっかやってるわけに行かないから。
オリジナルもこの頃からできてきて?もっと前からですか?「ライト・ハウス」が一番有名ですけど・・・
 うん、有名なつーか、アレしかなかったよ(笑)
 あとねえ、あともう1っこあったんだけどぉ、タイトルも付いてたか付いてなかったか忘れちゃったなぁ。もう1っこあったね。
 正式なデビューは東大の五月祭ってことになってるけど、その前の杉並公会堂でやったのが、ちゃんとした四人囃子の最初じゃないかな。
あ〜っ、そんなのがあるんですか?
 うん。あの時が非公式だけど、ちゃんとした四人囃子の最初なんじゃないかな。それ見て、インターソングの人がやらないかって来たらしいからね。

 

URCとマネージャー

サンニンの時はもうすでに色んなコンサートに出られていたんですよねえ?
 うん、出てたんだけど、ボクは、浦和のコンサートの時に出るはずが、病気になっちゃって行けなくて、大二と真ちゃんだけ行ってやったんだよ。なにやったんだろか(笑)
リズム隊だけで?(笑)
 (笑)うん、なにやったんだろね(笑)
浦和ロックンロール・センター(URC)はこの頃から?
 そう、その時に仲良くなったみたいだよ。うん。
じゃあ、それキッカケで?
 うん。その後の、野球場かなんかでやった時にボクが初めていったんだもんな。
URCは四人囃子の方が多いんですか?サンニンの時よりも。
 サンニンの時のは1回か2回じゃないかな。
URCはかなりやって、一時期は四人囃子は埼玉のバンドじゃないかって(笑)
 安全バンドがURCだったでしょ?で、滝口くんってのがそのアタマだったんだけど、彼と岡井くんのお兄さんがすごい仲良くなって、ということかな。
 だいたいだってその頃、ウェストロードのマネージャーと頭脳警察のマネージャーとあと2人ぐらいいて、みんなマージャン仲間で(笑)...ギャラはどこにいったんだ!って(笑)おいギャラ!って感じで(爆笑)
じゃあ、URCってのは、マネージャー同士で結構動いていたところもあるんですね?
 うん、滝口くんはそんなマージャンやんなかったと思うんだけどな(笑)
 いずれにしても、ギャラはどこいったんだって感じだよね。でもまあ、その頃にギャラをちゃんともらえていたヤツなんか一人もいないと思うけどね。うん。

 

秋吉久美子と鰐淵晴子!

四人囃子以外で、例えばサウンド・トラックやられたりとかは?
 うん、やったよね。えーと、秋吉久美子のLPの半分。一日でやったんだよ。あれは、本人が来るんじゃないかと思って、みんなOKしたんだ(笑)
あの頃、秋吉久美子さんっていったら大人気だったですものね。
 来なかったね、本人は(笑)。キー合わせどうしたんだろうね、あれは(笑)
森園さん、鰐淵晴子さんとかは?大二さんは、サンディー・サマー・セッション(ラジオ番組、囃子サイトのブートレグ・ページにも音源掲載)のスタジオに鰐淵さんが来ていて、「マジでマブい!」とおっしゃってましたけど・・・
 えっ?来てたの?
ええ、大二さんは鰐淵さんをずっと見続けてたと・・・
 あ、そう?!あいつサンディーの胸元もずっと見続けてたけど(笑)。「オマエどこ見てんだよ!」って(笑)。ずーっと見てんの(爆笑)
初めて、ああいったラジオに出られた時ってどうでした?
 わりと恥ずかしいね、ボクなんかは。なに言っていいか分かんなくて。
インタビューされますよねえ。
 ねえ。しょうがなくてわりと真面目なこと言うと、みんな笑うわけよ。
 いや〜、なんせやりにくいバンドで(笑)
茶化すわけですね?
 茶化す、わかす(笑)。で、「二十歳の原点」なんてもう時間がなくなって、3曲ぐらいボクだけで弾き語りだからね。ひどいですよぉ。

 

「二十歳の原点」の真実!

それお聞きしようと思ってたんですけど、やっぱりあのアルバム、森園さんが作って歌っったということですよねえ?
 そうだよぉ。もぉ〜(笑)
みんなは何をしていたんですか?(笑)
 みんなゲラゲラ笑ってたよ。お〜っ、けっこうやるじゃんとかいって(笑)
(笑)
 まあ、いいけど(笑)
 あの頃はねえ、ヴォーカルのダビングするのはねえ、ヘッドフォンじゃないんだよ。こうスピーカーがここにこうあって(注:右耳のわきあたりを指して)、それを聴きながら歌うんだよ。いまでも演歌の人がそうだけど、俺ビックリしたね(笑)。え〜、ダビングってスピーカーから聴きながらするんだって(笑)
 それにその時は8チャンぐらいじゃないかね。「一触即発」で初めて16チャン使ったんじゃないかな。ポリドールのスタジオで8チャンでやったと思うよ、あれは。1スタで。
どうなんですかねえ、ファンからすると、「即発」の前の「二十歳の原点」の位置づけというのが非常に難しいんですけども・・・
 だから、それこそバーターで、あれをやれば「一触即発」やらせてくれるっていう以外には何もないよ。ほんとに。
作られる最中、ああいう弾き語りというのはどうだったんですか?
 何となく話ししてたら、「あ〜、そういうのがいいのかな」って薄々感じて・・・
映画に合わせて?
 うん。で、まあそういう感じで作っておこうかと思って。もうだってあれ前の日かなんかに作ったんだもんね、曲を。それでもう必死に作って。
映画のラッシュは見られてからですか?
 いや、ラッシュなんて見てないんじゃないかなあ・・・最初はサントラって話しだったけど、よくよく聞いてみると「映画と平行してレコード化」みたいな、なんだかわけ分かんないこと言って、「どういうことだろなこれ?」と思って、そしたら1曲だけ映画に使われたみたいだけど・・・なんか、そういうことだよね(笑)
LPの方だとナレーション入ったりしてますよねえ・・・
 うん、途中でそういう説明を聞くわけよ。それで、「あ〜、は〜、そうですか...」みたいな(笑)
「ここでナレーション入ります」とか?
 「あ〜、は〜は〜、そういうんですか...そうですか」って言って、「とにかく曲だけ録っちゃいましょ」だね。「まあいいや、これやりゃやらせてくれんだろ」と思ってたね。
どうですか、今聴き直されてみて?
 いや〜、なかなか初々しいじゃないですか、ねえあれは(笑)
 あの時、なんだか知らないけどボク、ストラト持ってってたんだけど、ボーヤの子の持ってたSGを全部使ってんだよね。ストラトは1回も使ってないよ、たしか。

 

ギタリスト?ヴォーカリスト?ライター?

森園さんとしては、ギタリスト・ヴォーカリスト・ライターのうち、どれが一番しっくりきますか?これが俺だみたいのは?あるいは全部ですか?
 いや、ボクはギターだけ弾ければよかったんだよね。
 でも、なんとなく「やっぱりオリジナルがなきゃダメなんじゃないか」とか、「やっぱり日本語じゃないとダメなんじゃないか」とかって思って作るわけよ。
「おまつり」はずいぶん前から?
 あれはたまたまね、ああいう形でできたから、「あぁ、いけるんじゃないか」と思って、でもオリジナルの詞とは全然違うんだよね。それこそ、「オリジナルの詩の音楽化」みたいな(笑)。オリジナルの詩は、もっとちゃんとドラマツルギーがあってたような気がするね。そこから歌になるような詞を拾って、でやってみたっていう感じだよね。
「即発」を聴くと、作曲で目立つのは森園さんですよねぇ、そうするとファンは、ソング・ライティングは森園さんなんだというイメージを持ってたんでは?
 だって、たまたま、1曲が長いからねえ、必然的にそういうことにはなっちゃうけど、でもみんなが作るようになれば、そんなことはなかったんだけど・・・

 

「一触即発」の素は「ウィッピング・ポスト」!

「即発」作成の頃、メンバーの聴く音楽はまとまってきてはいたんですか?
 相変わらずみんな好きなこと言ってたことは言ってたけど、まあ、ここだけは押さえとけばいいんだろうっていうのは、暗黙のうちにあったんじゃないかな。
「即発」については、世間の言うようにフロイドの影響が大きいと思うんですけど・・・
 ボクはいま聴くとそうでもなくて、オールマン・ブラザース(・バンド)みたいのをボクはやりたかったのね。
 で、「ウィッピング・ポスト」みたいのやろうと思って「一触即発」ができちゃったの。
「ウィッピング・ポスト」だったんですかぁぁぁ〜!!!!
 「ラララレ〜ン、ラララレ〜ン、ララララララ・・・」っていうのをやろうとして、そしたら「ダンダダカダ、ダンダダカダ」になっちゃって(爆笑)
1フレット下だったんだけどね(笑)。よく聴いてみると良く似てるよ。
わぁぉ〜、いいインタビューになってきたぞぉ〜!!(笑) 「ウィッピング・ポスト」ね〜
 「ウィッピング・ポスト」聴くと、けっこう色んなイディオムをあそこから(笑)
 ソロのアイディアとかも、ぼくはオールマンとかサンタナからずいぶん盗んだよ。
わぁぉ〜、すごいぞぉ〜!でもいいんですよね、オールマン。「アトランタの暑い日」とか、こう目を閉じて聴いてると光景が、ヴィジュアルに浮かんでくるんですよね〜
 そうそうそう!(笑) 「一触即発って」のも、まあよくでっち上がったと思うよね(笑)
ほぉ〜っっ・・・じゃあ、そのオールマン・ベースのところに、大二さん系のフロイドっぽいのが組み合わさってできたと・・・
 そうだね、方法論的に。演奏の方法論的にはフロイドっぽいのもやってたけど、あとキャプテン・ビヨンドとか、ね?
ああ、そうですね、ちょっとこうスペイシーな...
 キャプテン・ビヨンドの2枚目によく似てるよね。
ギターの音色なんかは?
 やっぱり、そのあたりだね。
ファンとしては、オールマンよりは、やはりそちらの方かなと感じるんじゃ・・・
 そうだね。弾き方とかはね。そうかもしんない。
 っていうか、オールマンみたいな音はいまだに出そうと思っても出せない・・・なかなかでまへん(笑)
私もオールマン大好きで。
 いいよね〜!いや、ほんとカッコイイよ! ディッキー・ベッツもいいよね、最近(笑)なんて・・・(笑)

 

「ピンク・フロイドはプログレではない!」

世間の呼び方である「プログレ・バンド」っていうのは、この四人囃子ページを通してほとんど否定されつつあるわけですけれど、それはもう定説だということでいいんですかねえ?

 うん。でもねえ、一時期、意識してたことは意識してたと思うよ、ボクらも。イエスみたいなのとか、うん。

 ただプログレッシブといっても、ピンク・フロイドがプログレッシブに入っているのがちょっと変だなと思うわけ。
 クリムゾン系の、イエスとか、ビル・ブラッフォードとか、ああいうテクニシャンね、ジャズも囓ったことのある、そういう人達がいわゆるプログレッシブっていうのをやってて。
 でフロイドっていうのは、どっちかっていうとゴングとかに近くて、あの〜、ファミリーみたいなのがあって、どっちかっていうとグレートフル・デッドとかと同じサイケデリックなバンドなんじゃないかなと思ってるわけ、ボクは。
 だから、ピンク・フロイドはあんまりプログレッシブ・ロックだとは思わないよね。だいたいヘタです彼等は(笑)

す、すっごいインタビューになったぞぉ〜!(笑)
 (笑)
さぁ〜これからだ!(笑)
 (笑)あの、他のプログレッシブ・ロック・バンドって言われている人達はみんなウマイです(笑)。ボクはそう思います。
 だから、フロイドとグレートフル・デッドは面白いバンドだなって、よく思います。
四人囃子は、いずれにしてもプログレじゃないんだけど、では森園さんの表現からすると何になります?
 何だろーね〜・・・
初期の「即発」とかは?
 まあ、あれはプログレ的だよね。プログレッシブ・ロック的ではあるよね。それに、意識してそういう風に演奏してた時もあるからね。
 ただもっと、プログレッシブっていう枠じゃくくれないようなことをやろうとしてたんじゃないかと思うけど。

 プログレッシブ・ロックって、もう方法論が出来上がってたよね。
それにもう、エマーソン(・レイク・アンド・パーマー)の「ブレイン・サラッド・サージェリイー(Brain Salad Surgery:邦題 恐怖の頭脳改革)」っていうアルバムで頂点じゃないかね。あそこで終わっちゃったよね。うん、たぶん。あの後やることなくなっちゃったんじゃないかね、彼等も。やっぱり、すっごいヨーロッパの伝統みたいなのあるんだね、彼等には。

 でも、それをスゴイ強く感じるのはジェスロ・タルで、じゃなんでジェスロ・タルがプログレッシブ・ロックじゃないんだって言いたいぐらいでね。すごいよね彼等も

あの格好いいトータル・アルバムも出してますしねぇ。
 すごいよね、ホントに。ライブ見てもねえ、これはもう歴史が違うなと思って。
 もう自分の発想にまるっきりないものばかりで、あんな風に演奏できたら面白いだろうなって思ってね。
ジェスロ・タルは評価されています?中村さんは大好きと・・・
 うん、スッゴイ好き。大好き。大二も好きなんじゃないかねぇ。
 特に「スイック・アズ・ア・ブリック(Thick As A Brick)」はライブも見たけど、ぶっ飛んだね、素晴らしかったよ。照明まで自分でやってたんだね。
演劇的な要素・・・
 演劇っぽくやってたし。ホントああいうことがやりたかったよね、ボクらも。ただ、全然、及びもつかなかったけどね。
あと、(フランク・)ザッパは素晴らしかったけどね。
共演されてどうでした?
 いやボクは、楽屋口ですれ違っただけだけど(笑)。ボクら演奏終わって、帰ろうとしたらザッパが出てきて、で目を見てそのまま「凍って」家に帰っちゃったっていう(笑)。だから見てないんだよ、ボクは。

 

四人囃子のステージ!

さて、「一触即発」の出る前くらいのころのステージについてですけど、まず、よく言われていた「セッティングが長い」という理由について(笑)・・・
 うん、長いんですよ(笑)どうしても。セッティング命なんだよ。
 PAの状態とセッティングが悪かったら、演奏できない、あのバンドは。
やってて、例えばキーボードがよく聞こえないとかヴォーカルがよく聞こえないのでも、もう終わっちゃうから。それは、申し訳ないけどそうだったね。
やっぱり当然ですよね。
 当然だとも言いたくないんだけど(笑)、もうちょっと何かやりようがあった気がしないでもないけど、当時のボクらの実力じゃあ、あれが精一杯だったんじゃないかな(笑)。
 今でもそうじゃないかなと思うけど(笑)
あの頃、コンサートの度に違った風に演奏されてましたが、リハーサルで決めてたんですか?それとも別の日に練習を?
 いや、ほとんど練習なんかしないよ。もう出たとこ勝負で。
 仕事が何遍か続くと、だんだんまとまってくるんだけど、そこからまたぱたっと(仕事が)なくなっちゃったりして。
 そしてまた次に仕事があると、そこから別のことで始まってるっていうか(笑)
じゃあ、アレンジはカッチリしてるというわけではなくて・・・
 まあ、それこそここさえ押さえておけばってのがあって・・・
「イントロここからやろうよ」なんて話しは?
 うん、飽きちゃうからねえ、同じことばっかりやってると。だから今日は「こうやってみよう」とか。
事前の打ち合わせだけで・・・口頭の打ち合わせだけ?
 うん、あとは当日のリハーサルとかでやったりとか。
 集まるのがボクだけ遅れてゆくと、3人で考えてあって、「こうやるから」って、で「えっ?!」とか言って、それでやったりとか、そういう客をナメタことを一杯やってましたね(笑)
森園さんMCは?事前に考えられていたんですか?
 やだよぉ〜!あんなの、ねえ。
調子いい時はベラベラ言えるんだけど、なんか言っても黙られちゃうと、そこでもう終わっちゃうじゃない、ああいうのって、今でもそうだけど。
だから、ホントはそういうのしなくても間が持つようになればな、とは今でも思ってるけどね

 

ステージでカヴァーしたバンド!

あの頃、カヴァーでやられたバンド、知られているのはフロイド、ビートルズ、ベンチャーズなんですが、それ以外にはやられましたか?
 あと、ディープ・パープルとプロコル・ハルム。プロコルはすごい面白かったよね。
どのあたりを?
 えっとねえ、イン・ヘルド・トゥワイス・イン・アイ(In Held Twas In I、アルバム「Shine On Brightly」に収録)っていう長い曲が入っているやつとか、それを中心に前後の曲かな、「グランド・ホテル(Grand Hotel)」の前かな、だから。

 

未発表曲!

えっと、次はファンからの質問でもあるんですけど、「即発」出る年のお正月のライブで、「風の行方」という曲を演奏されましたか?あるいは曲名が別でしたか?音源もあるんですけど。
 かぜのゆくえぇ・・・あ〜あ〜あ〜、はいはい。ありましたよ。風の行方だったかなあ?それ末松さんの詩のやつじゃないかなあ?う〜ん・・・あったねえ。あったような気はする。
じゃあ、「窓を開けて」「羊飼いの歌」、これは有名ですが、こういう未発表はたくさんあったんですか?
 いや、そんなにはないけどね。これぐらいじゃないかな。
アルバムには入れなかったのはなぜ?
 うーん、なんでかなぁ・・・でも「なすのちゃわんやき」もこの頃だよね。
そうです、ちょうど那須の合宿から帰ってきてすぐ・・・
 うん、そうだね。

 

想い出のカレー屋さん!

あの頃、最も想い出に残るコンサートは?
 うーん、なんだろうなぁ。あの頃って言うか、そのころの前後2、3年がぐしゃぐしゃになっちゃってるけどねえ。記憶のなかでは?何やってたんだろうねえ(笑)
(笑)やっぱり、ワンステップですか?みなさんそう言ってますが・・・
 うん、ワンステップは面白かったね。うん、楽しかった。 カレーが美味しかったんだよ!
カレーが美味しかった?!おっと、囃子ファンとしては新たな発見ですね!(笑)
これはもう、ホームページに掲載するために、また発掘しに行かないといけないわけですね、私は。
 (爆笑)いやそれはね、「キャラバン」っていう名前のカレー屋さんで、キャンピングカーで来てたお店だから、そこに。
じゃあ、この消息尋ねないといけないんだ・・・
 (笑)でも名前まで覚えてるくらいだから・・・
よっぽど感激したんだ!森園大推薦!!
 (爆笑)キャラバン!
ちなみにカレーの具は何がお好きですか?
 いや特にないけどねえ、カシミールが好き!
森園さん基本的にカレー好きなんですよね?
 うん、大好き!(笑)

 

森園ストラトジスト!

ここでちょっと真面目な音楽話しにもどりますけど、いわゆる日本の第1期ロック、どう評価されますか?あるいはどう感じられましたか?
 ボクがその頃好きだったトランザムっていうバンドがあって、ちょうどワンステップの時に、ステージわきでずっと見てたの覚えてる。
 「あー、やってることが1個1個はっきりしてていいな〜」と思って。
 すごいボクは好きだったんだよね〜、他のメンバーはあんまり好きじゃなかったみたいだけど。
音楽的にはちょっと違いますよねえ。
 うん、でもボクは好きだった。とにかく石間(秀機)さんのギターが好きで、もう素晴らしかったよね。
 「なぁ〜、どうすればああいう風に弾けるかな」といつも思ってたよねぇ。いい音で。
 その頃石間さんもストラト使ってたんだけど、そもそもボクらはフラワー・トラベリン・バンドの前座やった時に、「ちょっとストラト貸して」って言って、それで石間さんのマーシャルで弾いて、スッゲエいい音したんだよね。
 そしたら次から石間さんもストラト使うようになって。それまでゴールド・トップだったんだけどね。
 「あ〜、でもいい音だな〜、ああいうストラトの音ってでないんだよな〜」ってずーっと思ってて、ようやく最近です、ちょっとストラトっぽい音が出るようになったなと思ってるのは、自分で。
森園さんって、ファンからするとやはりストラト、特に四人囃子の時は、そのイメージが強いんですけど。やはり愛着はありますか?
 うん、そうだね。ホントはストラトにしようかSGにしようか随分悩んでたんだよ、買う時に。
 で、SGスペシャルの方が安いし、ボクはSGみたいのずっと弾いてたから、そっちにしようかなと思ったんだけど、どーにも良くないんだよね、そこに置いてあったやつが。
 「じゃあストラト弾いてみっか」と思って、弾いたら結構良かったんだけど、ま〜難しいギターで(笑)。分かるのに25年かかったけどね(笑)
ミュージシャンのみなさん、いつの間にかストラト主流になっちゃいましたよねえ。
 なっちゃったよね。その頃はいなかったよ、ストラト使ってる人なんて。

 

何故だ?ロックに自由なんかないのに!

どうですか、そのぉ〜、当時、山ほどバンドが出てきて、その時は一番良かったのがトランザムというお話ですけど。
 うん、そのコンサートはね。
 その時はトランザムすごく良かったし、ん〜、いくつか、あとハプニングス・フォーといかもすごく面白かったな、ボクは。オリジナルのアルバムでねえ、「引潮・満潮」ってアルバムがあるんだよ。それ今もう1回聴いてみたいですね。スゴク良かったような気がするんだよね、それ。
バンドたくさん出てきて、どう思われましたか?やっぱり活発でうれしかったとか、あるいは負けないぞぉみたいのとか・・・
 いや、負けないぞも何もね、音楽は勝ち負けじゃないから(笑)
あまり意識はしなかったですか?
 ただなんか、色々うるさかったよ、ね。日本語じゃなきゃダメだとかなんとか。
言われましたか、そういうこと?
 いや、直接言われたわけじゃなくて、その頃の話題がそういうことだったでしょ?
 ハッピー・エンド派みたいなのとそうじゃないのとが分かれてたりとか。
ああ、ありましたね!
 これは一体何の意味があるんだろうな、こんなことをしてと思って。

 それにいま思うと、音楽なんてのは自由なんかないわけだよ。音楽の中で比較的自由なのはジャズだよ。ロックなんか自由なんてほとんどないよ。それで、自由をなくせばなくすほど、いいサウンドになるから、何でこれが自由の音楽だ?!ってね。なんでそう言われるのがよく分かんないとかね(笑)

いや、インタビュー的にイイ発言ですね〜(笑)
 (笑)まあ、そういうイメージがすごい強かったんだけど、決めごとしかないわけだよ、基本的に音楽というのは、決まり事しかなくて。それを守れば守るほどキチンとしたものができてゆくだけで。
 だから、フォークの人が1人でやってるのなんか、わりと自由だよね。どう歌おうが、その人の中で解決すればいいことだから。
 なのに、ロック・バンドになるとみんな楽になっちゃうのが、面白かったね(笑)。そいつらが他の決まり事を全部抱え込んでたのかもしれないけど(笑)
でも、その中でやっていこうと思われたわけですよねえ?例えばオーネット・コールマンみたいになっちゃおうとかせずに。
 うん、思わなかったよね。そうだね・・・
その中でいかに自由・・・っぽくやるか、と。
 これでどうやったら自由が得られるのかなと(笑)、ずっと思ってたけどね(笑)
ホントは、クールになるのは大変だよね、演奏しながら・・・でも向こうのバンド見てるといっつもみんなクールだよね。音はすごい熱いけど

 

エクスタシーの要はサウンド・マン!

ちょっと話し変わっちゃうかもしれませんが、演奏してる時って、エクスタシーとか感じるんですか?
 うん。エクスタシーぃ・・・
気持ちいい?
 気持ちいいなって思える時は、自分だけじゃないはずなんだよね。

 自分1人が気持ちいいなんてのは、まあそう思ってるヤツがいたらちょっとおかしいんじゃないかと思うね。気持ちいい時は全員で気持ちいいんだと思う。
 音楽やってる時はね。そういう時は何回かあったね。ボクが四人囃子やってて一番気持ちよかったのは、やっぱりディープ・パープルの前座やった時かな。

あ〜、みなさんそうおっしゃいますね。
 あれは素晴らしかったね。うん、「あ〜こんなにも違うのか」と思ったよね。
 ホールド・バックとか、「これだったら楽だわ」と思ったもん。何にも言わなくてもいいんだもん(笑)
それはサウンド環境ですよねえ?
 うん、だからさっき言っていたサウンド・マンがいないなってのはそのことで・・・
それはもう常につきまとってるわけですね?
 うん、ホントに。素晴らしいよ、だからその時は。何遍か日本でもあるけどね、そういう時は、たまたまそうだったんだね、きっとね。あれはコンスタントにああなんだよね、向こう(海外)は、たぶん(笑)。

 だからよく思うけど、ソロ取ってる人のピンスポット追えないとかってことは、ボクにしてみれば考えられないわけ。ソロのやつのフェーダーが上がんないとか。「一体何やってんだおまえら」って言いたくなっちゃうよねぇ(笑)。だって、そいつのやってることっっていったらそれしかなくて、誰がソロやってるかぐらい誰でも分かるよねえ?
 あがっちゃうのかねえ?俺はそれがいまだに不思議でしょうがないんだ

 ステージでの快感ってのは、大、大、大前提としてサウンド・クルーがしっかりしていることだと、特に今みたいに大がかりなシステムになったらそうだよねぇ。で、その上で、まあ全員がまとまると、こう快感がえられると。

 うん、スタッフとバンドがお互いのリスペクトが足りないんじゃないかね。なんかこう、分業というか、分担されてないんだね、役割が。サウンド・システムの人はその中だけの仕事で、バンドはバンドだけの仕事で、みたいになってんじゃないかね。
 あまり細かいこと言う人がいないのか分かんないけど、今のシステムでやれるバンドがやってんだよね、きっと。あれでOKな人がバンドできてるんだと思うよ。

ここ10年ぐらいは、商売になるから、けっこう専門家としてやってるはずですよねえ?
 うん、だよね。いい人はいいよ、すごく。でもお金かかるね、そういう人は(笑)。
 ボクがいまよく遊びに行っているPA屋さんがあるんだけど、そこはスタジオがあって、そこは何でもやってくれるから、そういう不安はだんだんなくなってきたけどね。
 だから、やりたいことはたくさんあるんだけど、ライト・ショーとか(笑)
ぜひやっていただきたいっすよねえ〜
 だいたいボクらみたいなバンドってのは、人を見てたって面白くないから、なんか面白いことをねぇ。まぁライト・ショーぐらい見たいじゃない。ボクだって見てみたいもんね(笑)。自分で見てみたいものをやりたいよね、やっぱり。
仕掛けものは好きですか?例えばピンクの豚飛ばしちゃうとか、ストーンズみたいにステージ両脇に人形立てちゃうとか(笑)
 あ〜れはあんまり...どってことない。
不必要?
 うん、それにステージわきの大型モニターも別に・・・あれはやだよね(笑)
どうしてもあっち見ちゃいますよね〜
 (笑)あれはなんかね、ヤダと思うんだよね。
それよりもベーシックなライティングの方が大事だってことですね?
 うん、そうだね、ホントにいい音とかね。
でもあの当時、ライティングとかいわれていたのは四人囃子だけでしたよね?評論家の方とかも、「ライティングまで考えたステージは四人囃子だけだ」なんて書いてましたよねぇ?
 ねえ、なんでだろうか?ねえ。ライト・ショーってほどのショーもやってないんだけどさあ。
普通でしたよねえ?
 普通だったと思う。生のライトだけでやったこともあんだよ。黒でね。でも「それはバンドに実力がないとできないよ」とか言われたけど(笑)

 

「やればできるじゃん!」

どうですか、もう1度戻っちゃいますが、第1期日本のロックは?ご自身のことでなくて、評論家っぽくでもいいんですが、いかがでしたか?
 例えば、向こうのバンドと比べて云々っていうのは、ある意味じゃナンセンスな話しなんだけど、でもある意味では、与えられている材料は一緒なわけよ。で、出てくる料理がこうも違うのか(笑)っていうのはあったね。
 だって、何一つ違わないわけだよね。ドレミファソラシドの質が違うわけでもなければ...なんでこんなにも違うかなとつくづく思ったけどね。
 でも、「おっ、ここはけっこうイケてんじゃん」ってとこも結構あったからね。「ああ、やりゃできんじゃない」ってとこもあったから。それだけを励みに(笑)
私はまだ幼かったからかもしれませんけど、唯一それを感じたのが四人囃子だったんですよ。「あっ、日本のバンドでもできるんじゃん」ってのを。
 うぅん。まあ、いかんせん自分達の演奏を客観的に聴いたことないからさあ、自分のポジションでしか聴いたことがないから、「あ〜、今日はいいドライブしてたな」とか、そういうことでは...まあ体調を整えるのが大事だなとか(笑)

 

「一触即発」の名曲達!

では、ここでいよいよアルバム「一触即発」の話しに入っていくわけですが、デモはすでに作られていたんですよねえ?
 俳優座のやつがデモだったよね。
そうでしたね。ライブとして発売されているヤツね。で、どうでした?「即発」のレコーディングでスタジオに入られた時は?
 いきなり、「バラバラに録る」って言い出して・・・「え〜っ」とか言って(笑)。 クリックも使わずに。
大二さんのアイディア?
 そう。突然言うんだもん。そういえば前からそんなこと言ってたような気はするけど、正式には聞かされてなかったの。「えっ?なに?バラバラに録るの」って感じで。
やってみてどうでした?
 まあ、よく繋がったよね(爆笑)

 

「ハマベス」?!

では曲について・・・まず「ハマベス」!あれはどこからインスパイアされて?
 あれはねえ、なんでアレをいれなきゃならなかったんだろうか、ってちょっと思い出せないんだけどね。
1曲目ですよねえ?
 ねぇ〜・・・なんでああいうことをやろうとしたんだろう?
 俺はちょっと記憶がないなあ(笑)
ネーミングは?
 うん、ネーミングは確かにした記憶はあるんだけど・・・
ネコのあごの下をなでる?
 うん。あれはねえ・・・長沢ヒロがいったんじゃないかなぁ、長沢ヒロがうちのそばに住んでいて・・・いや違うな。長沢ヒロをみててボクが思ったのかもしれない(爆笑)

 

「空と雲」はツェッペリン?アニマルズ?

じゃあ、「空と雲」ですけど、作曲した中村大先生いわく、「ブルージーなウェストコーストをイメージして作った」そうなんですけど、ファンの多くは「日本の夏、金鳥の夏(笑)、神社の中の木立」をイメージするようなんですが・・・
  それはやっぱり詞が勝っちゃったよね。

 ボクはあれは(レッド・)ツェッペリンみたいだなと思ってんだけど(笑)。サビのところのコードは、なんかに似てるなと思って。
 実はあの曲はねえ、アニマルズの「ホワイト・ハウス」ってアルバムがあるんだけど、それのサウンドにスゴク似てるね。

意図的に?
 いや意図的にじゃなくて、あの頃ボクがすごくよく聴いてたんだと思うけど、そのアルバムを。この間また聴いたんだけど、すごいよく似てた。
ファンからすると、やっはり「日本を感じる」っていうのが多いと思うんですけど、それはやはり歌詞の勝ち?
 歌詞が勝ったんだと思うよ。やはり言葉の威力っていうのを、ボク以外のメンバーの人達がどう思ってたのかなとはつくづく思うね。なんかそこに日本語の歌があればいいだけだったのかなあと思うことが、やっててあったけど。

 ボクは歌う立場だからしょうがなく色々考えるんだよ。考えても、あんまり言いたいことがそんなにないもんだから、どうしても情景描写みたいなことになっちゃう。
 だけど、ただの情景描写で終わってないところが、末松さんのすごいとこで、どうとでも取れるよね、言ってることが。どうとでも取れるけど、でも断言してないとこがすごいなと思って、それはでも、彼も意識してないことだったんだよね。だからよかったんだよね

あのギター・ソロのフレーズなども、非常に繊細で、やっぱり日本ぽいかなっと思うんですが。
 うん、あれは2つか3つのソロを一遍に出しちゃってるんだね。たしか。あれ、いい音してるよね、ギターが。
スッゴクいい音ですよね。トーンも。
 あれはヤマハのアンプだったんだよな。全部。何でか知らないけど、四人囃子ん時はヤマハのアンプが合うんだよなぁ。
「空雲」でエフェクターは相当掛けてらっしゃった?
 いや、エフェクターそんな掛かってないよ。
 だいたい、その頃あるエフェクターって、ディストーションみたいなのと、ワウと、ディレイぐらいでしょ。あとはトレモロとかそれぐらいだから、いっぱい掛けるったって、それぐらいしかなかったもの(笑)。 あぁ、ロータリー・スピーカーはよく使ってたけどね
じゃ「空雲」などは生音に近い?
 そうだね。あれは、ミキサーの大友さんっていう人が、なかなか「いい腕」だったんじゃないかと思うね。東宝レコード。あの時はねえ、日本製の卓だよ。トラック・ダウンしたのは、タムラの。
「一触即発」っていうと、やはり「即発」ってことになるんですけど、「空雲」はすーごいいい曲ですよねえ?
 ねっ。長さ的にも曲らしいし、夏っぽいよね、そういえばね。
 まあ、なんとなくそういう風にしようっていうみんなの強い意志はなかったけど、そういうイメージはみんなで押さえてたんじゃないかな。なんとなく。
「空雲」は、ライブではほとんどやったことなかったですよねえ?
 やってなかった。っていうのはねえ、ヴォーカルのラインがダブルで出さないと、もぐっちゃうんだよね。でもファルセットできる人がいないじゃない(笑)もう1人。だからあんまりやらなかったんだと思う。
じゃ、練習でカチッと形つくってレコーディングしたっていうことですね、この曲は
 うん。あのぐらいの曲だと、そんなにリハーサルやらなくてもできちゃうぐらいの腕はあったよね。

 

「おまつり」は終わらない・・・

「おまつり」の方は、繰り返しライブでやって曲が変わっていったわけですけど。
 うん、そうだね。
最後のエンディングがなぜあの、ベースの「ダーダーダー、ダ、ダッダッダ、ダッダ」になったのか、それが不思議だという意見も多いんですけど。
 あれはやっぱり、お祭りの「喧噪」なんじゃないの(笑)
喧噪なんですかぁ(笑)
 つーか、終われなくてああなっちゃった(笑)ってのはあるんだけど。
はい、確かにどうやって終わるのかなって思いますよね、途中で。
 そう。あのまま終わるにはねえ、真ん中であれだけ盛り上がっちゃうとねえ、あのままスンナリとは終われないんだよね。それでもう1回リプリーズして消えてくって以外に思いつかなかったのね。

 で、「なんでウミネコか?」っていうと、「なんとなく」って(笑)いう・・・(笑) でも、なんか言えてる感じがしないでもないんだな、ボクの中では。

あのエンディング、ある人曰く、「なぜソウル・ミュージックぽいのか」って
 う〜、ソウル・ミュージックなのかなぁ。むしろサンタナみたいだよね

 

「一触即発」と「エコーズ」!

では次、いよいよ「即発」ですが、曲のリズムは先程おっしゃっていたように「ウィッピング・ポスト」なわけですが・・・
 「ウィッピング・ポスト」で行って、あとは「吹けよ風叫べよ嵐」(ピンク・フロイド)みたいなの、いやがおうにもあるわけだけど・・・
ギター・ソロは何にインスパイアされたんでしょう?デイブ・ギルモアは当時だいぶ聴かれた?
 聴いてたけどねえ、デイブ・ギルモアのギター・ソロ、プレイ自体で何かうるものはそんなにないのよ。
 でも、「エコーズ」は面白かったね。すごくね。「エコーズ」は四人囃子もやってたんだけど、面白かったよ。
「エコーズ」真似される時はどうするんですか?あの、「カラスの鳴き声」みたいなのとか。
 ああ、「ヒュイ〜ン、ヒュイ〜ン」とか、出すんだよねえ。
ボトルネック?
 いやボトルネックじゃなくて、なんかファズ踏んで、ボリューム絞って、でトーンを回すと、発信する場所があるのよ。「ウィ〜!」って。それを見つけるのが大変で(笑)
じゃ、研究されてたんですね?
 うん。だってギルモア何もやってないんだよね。ただ(ギターの)ノブ回してるだけなんだよね。あっれは分かんなかったよ、なかなか。
「即発」について、あとはぁ...歌詞について、歌詞を森園さんが一部変えたことについては?
 あれはなんかねえ、ライブの方はオリジナルの詞だけどぉ、なんで変えたのかよく覚えてないけど、なんかああいう風な希望を持ちたかったんじゃないかと思うけど(笑)
 あれは、ちょっとノストラダムスみたいな話しでもあったから、末松さんが書いた詞だと、こう、あんまり解放される感じがしなかったんだよね。
最後は解決したかった?
 なんか自分のことだけで終わっちゃってるような気がしたんだよね。たぶんそんなことだったんだろうと思う。

 

「ピンポン玉」の快楽!

で、最後の「ピンポン玉」
 「ピンポン玉」面白いよね。難しい曲だったな。
難しかったですか?インスピレーションはどこから?
 いや、もう忠実に、作者の意向にそうだけで精一杯だった、俺は(笑)
 テーマがないのに曲になってるところがすごいよね。あれはやっぱり、ピンク・フロイド好きの大二くんの真骨頂じゃないかね。あれ、サビのところがいいよね?
 あの坂下のプレイもすごくいいよね。ああいうことは、なかなかできる人が少ないというか・・・
「ハマベス」についてはみなさん謎なんですけど、「ピンポン玉」は、アルバムの終わり方はすごくいいですよねえ、もう1回最初から聴きたくなるような・・・
 ねえ。「ハマベス」は別になくったってよかったんだと思うんだよなぁ。
今さら言われても(笑)
 (笑)でも、なくなると何か寂しいよね?(笑)とっちゃうと寂しいじゃない(笑)
 なんか、脅し一発やって、みたいな(爆笑)ことだったのかねぇ
 あの頃、あの曲に異議を唱える人いなかった気がするんだな(笑)あのシンセの音は汚くてやだけどね

 

「一触即発」アルバムの全体について

では、アルバム全体について、まず選曲ですけど、「ネッシー」とか「円盤」が入らなかったわけは?
 なんでだったんだろうね、「ネッシーは」まだ曲としてちゃんとできてなかったんじゃないかなぁ。
やはりそうですか、みなさんそのようにおっしゃいますねえ。「円盤」は?
 「円盤」はねえ、大二が次のシングルで出そうって強く言ってたんだ。
もう決めてて?
 うん、決めてたね、あいつは。
では、レコーディングの時に大変だったこと、楽しかったことは?
 そんな大変だと思ったことは、「一触即発」の時はないね。わりと、楽しく終わったな、あれは。

 

ジャケット:カメの上の象の上の我々

ジャケットは森園さんのアイディア?
 言い出しっぺはボクだったような気がする。けどみんなでワイワイガヤガヤやって決まったんじゃないかな。

 でも、あれナマケモノじゃないよね、どう見ても?ナマケモノもっと怖いよね。知らなかったんじゃないかな、ナマケモノを(笑)動物の実物を(笑)オオアリクイみたいだもんね、ナマケモノって。

アイディアだけ出して、イラストレーターさんに頼まれた?
 そう。ナマケモノっていうのは、すごく知能指数が高くて、イルカが人間よりちょっと上にいて、でナマケモノは人間の倍ぐらい上にいて。なんで彼等が生き延びてこれたかって言うと、近寄るんじゃないってテレパシーを出して、いまだに生き延びてる、って言うことを冗談めかして言ってたことがあって、それは面白いなと思って、使おうと思って。

 それとギリシャ神話でカメの上に象が乗ってててのがあって、それを足して、であんなのにしたんだ。けど東京ドームみたいになっちゃいましたね(笑)カメの甲羅が(笑)

いや、でもあのジャケットは愛着ありますよね〜
 うん。サンタナのジャケット、「サンタナ3」かな?に、やっぱりあるのよ、カメの上に象が乗ってっていうのが。これ素晴らしいよ!それをサンタナもライブで、ステージの後ろにスライド・ショーで流してたんだよ。
カメの上の象ってのも、あまり言われてこなかったですよねえ?
 うん。あんまり知られてないよねえ。インドの言い伝えかな?

 地球は、カメの上に象が4匹乗ってて、その上に地面があるという・・・(笑) それが宇宙の中を泳いでいるという

またまた本日の大発見でしたね〜!

 

カリスマ森園の憂鬱!

じゃ、次は、ちょっと単刀直入にすぎるかもですが、世間一般では、「森園ギター・バンド」、もしくは「森園ワンマン・バンド」という評価がなされてたんですが、いかがお感じでした?
 まぁ、しょうがないよね。曲も作ってりゃ、歌も歌っててギターも弾いてるんだから、目立つに決まってるよね。ボクとしてはどうにかして、その均衡を崩したかったんだけどね(笑)。もうちょっと軽くなりたかった(笑)
うぅ...格好よかったですけどね、いずれにしても。
 いや、大変でしたねぇ(笑)
(爆笑)何が大変だったんですかぁ〜?
 いや大変なんだよね、やっぱり歌って弾いて、作ってってのは。
こう、バッと有名になって、いまでいうカリスマ的な扱いされて、どうでした?
 いや〜、だからその有名になったことと実際があんまり結びつかなくて。
それはお金の面で?
 そうだね。だから有名無実的になってたね、自分の中ではね。

 でも、やっぱりあれがなかったら、いまだにギター弾いてることはないと思うからね。やっぱり、それはありがたかったけども・・・もう少しどうにかなんなかったかなと思ってたけどね・・・

 ボクは、四人囃子をやってた時に、例えばフェリックス・パッパラルディと演奏できたことなんかすごく嬉しいよね。

 

パッパラルディとワールド・ロック!

ワールド・ロックはやっぱり良かったですか?
 あれは、ホント信じられなかったよね。だって、クリームのプロデューサーだよ!(笑)信じらんないよね。

 近田(春夫)が面白かったよね。下北沢歩いてて、ヤクザにバンなんてぶつかられた時に、「バカヤロー、俺はフェリックス・パッパラルディと一緒にやったんだぞ」って(爆笑)

(爆笑)相手は分かんない!(笑)
 「何だこいつは」なんて言われていたけど(笑) 面白かったなぁ。あの時ずっと近田と部屋が一緒だったんだよね、ツアーの間。めちゃめちゃ面白かったね(笑)。二人で「おちゃめなこと」ばっかしてました(笑)、はい。

 スゴイ音だったよ、ベース。御スタだったんだよね、それも、初めてリハーサルしたの。御スタの壁一面がもうスピーカーでさ、サンのコロシアム・ベースっていうスピーカーが8発ぐらい重ねてあってさ。もう壁一面ぜんぶベース・スピーカーなのよ。

部屋ごと揺れますね(笑)
 うん、もうスッゴイ音だった。けど、全然うるさくないんだよ
へぇ〜。
 ものすごいデカイ音だけど、全然うるさくなくて、チューニングする時、こうやって「ペグ」咬んでチューニングするんだね、フェリックスは。
 あの人はジュリアード(音楽院)でチェロ科なんだよね。で、チェロの人ってみんなペグ咬んでチューニングするじゃん。

 も〜、素晴らしかったね!で、あの声で「グゥン・バァ〜イ」って(笑)

ご自身はどうでした?
 もう付いて行くのが精一杯、っていうか(笑)・・・タメがねーな俺は、とか(笑)
でもその時快感ですよねぇ?
 ねえ。面白かったね。もっと色々できたらよかったのにな〜
音の出し方とかの指示などあったんですか?
 特にはなかった。好きにやらせてくれたよ。そんなに難しい曲じゃなかったしね。
あの時の四人囃子はどうでした?
 あの時は、2カ所ぐらいでやったのかな?
ええ、後楽園と札幌。ラジオ放送された音源、評価高いんですけど。
 う〜ん。そういえばあの時、感電したんだよ(笑)。もうマイク近づいてったら、近づくだけで歯が浮いてきちゃうぐらいにすごい電圧だったの。それで、バチッとか当たると視神経が光るんだよね(笑)、イナビカリみたいに。死ぬかと思ったねあん時は。
あの時の「即発」はすごいぞ、っていう・・・
 あっ、ホント、よかったんだね、じゃあ、良かったんでしょう(笑)
(笑)
 興奮してたんだろうね(笑)。
 でもさあ、あの、球場走ってステージまで行くってのが恥ずかしかったよね〜(笑)

 

森園執筆(?)雑誌記事

ちょっと余談的なご質問ですが、ニューミュージック・マガジンのレコード評とか記事とか書かれてましたけど・・・
 ニューミュージック・マガジンの何とかさん・・・う〜、なんていったっけなあ・・・ちょっとど忘れしてるけど、その人が気に入ってくれて、その人からよく依頼が来たんだ。で書いてたんだ。ちょっとでも書けばお金になるから(笑)
ファンからすると不思議だったんですよ。毎月のレコード評のところに、森園さんが「このアルバムはロックなんだけど、もう少しロールがほしいな」とか書いてあって・・・
 ニューミュージック・マガジンもたまに書いたけど、ヤマハで出してた「ライト・ミュージック」の方はずーっとやってたんだよね。
 でも途中で面倒くさくなったんで、茂木くんに替わってもらっちゃったんだけど・・・ゴースト・ライターは茂木くんでした(笑)
(笑)今だから明かす!(笑)
 ん〜ん、だってつまんないのばっかくるんだもの(笑)
テーマが決まってたんですか?
 レコードがドサドサっと来て、その中から好きなの3つとかいうのだったけど、面白くないんだよね、どれも(笑)

 

ベース交代劇と「グラム」な佐久間!

では、2枚目の「ゴールデン・ピクニック」に移りましょうか。まずは、中村さんから佐久間さんにベースが替わって・・・
 その間ってどのぐらいあるんだろうね?中村がやめて佐久間くんになるのって・・・1年ぐらいあるんだよね?
いや、すぐなんじゃないですか?
 すぐ? 結構あったと思うんだけどなぁ〜・・・半年ぐらいは、誰もいなくて何もしてなかったんじゃないかなあ? 3ヶ月か4ヶ月はあったんじゃないかなぁ・・・
「即発」が出て、ツアーやって75年が終わりますよねえ、で76年の夏ぐらいには佐久間さんだったのは間違いなくて・・・
 いや、でも何人か替わりの人が来たんだよ。
あっ、そうなんですか?
 うん。あの人でもだめだ、この人でもだめだ、って。 2人か3人ぐらいは候補の人が来たんだよね。で、どの人もダメでねえ。
 で、佐久間くんに。「これはもう佐久間くんに頼むしかないかな」ってことになって佐久間くんになったんだよ
「ミス・タッチ」とはずっとお知り合いで。
 そうそう。
ですからファンからすると、中村さんやめて、じゃ佐久間さんってスンナリいったのかと・・・
 そう、ねっ、そうスンナリ行けば良かっただけなんだけどね。
そこで選ぶ基準になったってのは何なんですか?
 やっぱり、今思っても佐久間以外に考えらんないんじゃないのかな。うん、話しも通じる人っていうと。
タイプとしては違いますよねえ?
 っていうか、中村みたいなのがタイプっていうかどうかだけど(笑)
(笑)私の大先生ですけど・・・
 (笑)ワン・オブ・ア・カインドなのかどうか(笑)っていうのは分かんないからさあ、だからどういう基準で・・・

 最近だけどさあ、長沢ヒロともやったことあるんだけど、スゴクよかったです。ボクと、個人的には。長沢ヒロとやった四人囃子はねえ、すごく囃子らしかったよ。でも、当時やってどうだったかなあ、ってのはあるし・・・まあ、なかなか難しいよ、あのバンドのベーシストっていっても(笑)。

 中村くんのキャラクターってのはやっぱりデカイからね。なんだかんだ言ってポール・マッカートニーみたいだからね。

作曲も多いですよね。
 そうだね。
佐久間さんの方が・・・なんて言うのかな・・・表面的なハデというわけではなく、もっと・・・こう・・・なんと・・・
 っていうかもう少しエキセントリックだからね、彼は。 だって、ボクら最初にあった頃、眉毛なかったもん(笑)。 「ビックリしたな〜も〜」みたいな(笑)
へぇ〜っ・・・
 結構、「グラム」な人だったからねえ。
ほぉ〜・・・
 でも、人がイイからねえ、彼は(笑)
四人囃子って、みなさん育ちいいじゃないですか?だからそうじゃないと合わないんじゃないですか?
 ねぇ〜。そうかもしんないね〜。 だからボクなんか大変でしたけど(笑)
(笑)中村大先生のお話では、「ボクのベースはべたーっとしてるんだけど、佐久間のベースは跳ねるんだよね」っておっしゃってますけど、演奏されててどうなんですか?
 へ〜、お互いにそんなこと思ってるんだね。そんなことないと思うけどね。
 中村くんのベース、結構ポンポンしてて面白いんだよ。でも、真ちゃんとやると、やっぱり独特の感じになるよね
雰囲気が違いますよね。なーんともいえず

 

「ブエンディア」は必然だった!

では曲について、まずシングルB面の「ブエンディア」ですが、いきなりラテン・テイストですが、どうでした?
 でも、もうねえ、あの頃みんなが聴いてたのが、例えば大二は(ビリー・)コブハム聴いてたし、あとデオダード聴いてたし、いわゆるフュージョンっていうか、クロスオーヴァーみたいの聴いてた頃だよね。

 音楽も、もうアメリカの音楽の方が面白くなってたから、その頃。
 マイケル・オマーシャンっていう人がいるんだけど、その人のソロ・アルバムが素晴らしくてさあ、それとロギンス&メッシーナの2枚、もうすごい好きで。
 オーリアンズはスゴイ好きで、その頃もうそんなのしか聴いてなかったんだよね

この頃、どなたにお聞きしてもアメリカに移ってきてると・・・
 「あの頃アメリカの聴かなかったらアホやで」(笑)っていう感じ(笑)ホントに。あと、グラハムとかも大好きだったから。面白かった。
で16みたいのは、そうそう簡単にできないから、けっこう苦労したんじゃないかね。

 あの頃の林達夫のドラムとかスゴイよ。素晴らしいよね。日本のロック映像みたいの3本で出てるじゃない、あれのティンパン(・アレー)の演奏すごいもんね。林達夫すごいよね、ブルース・リーみたいだよね(笑)むちゃくちゃ上手いよ。

 

「フライング」と「ウマグマ」

ではLPの方の曲に行きますが、「フライング」。前からビートルズは入れたかったのかなと思いますけど、聴いているとなにか音色が「ウマグマ」の頃のフロイドっぽく聞こえるのですが・・・
 ああ、そう?!それは喜んでいいのか・・・どっちにしろ嬉しいです(笑)バンド自体がそういうサイケデリアに突入してたのかもね(笑)
「ウマグマ」お好きなんですよねえ?
 好きっていうか、ああいうアルバムってのは必然性があってできてるんだよね、きっと。
 ただああいう取りとめのないもの作ろうと思ったら作れないというか、すごく必然性があって、いやがおうにもこれを作らなきゃ、ってなんかがあって出来てきてるんだよね。
 だから、ちゃんとアルバムとして成立してるんだろうけど、でも、聴いてみるとなんだかわけ分からないよね。でもすごい好きなんだけど。
聴いちゃいますね〜
 「アランのサイケデリック・ブレックファースト」って、何に入ってんの? 「原子心母」?
そうですね。
 でも俺ずっと「ウマグマ」だと思ってて(笑)、あれが入っていると思ってこの間買ったら、入ってなかったんだよね(笑)
あの曲は聴いちゃいますよね(笑)水道ひねったりお湯湧かしたり・・・なんなの?って
 (笑)あれはねぇ、もう参っちゃうんですよ(笑)

 

「なすちゃ」の変態ピッチは大変!

さて、「なすちゃ」ですけど、後半でピッチを上げたのはどういう動機で?
 あれはねえ、ああいうことが出来るってことでやってみよ、ってだけの話しで。「バリー・ピッチ」ってのがあって、テープ・レコーダーのスピードをすごく細かい精度で変えられるのね。
徐々にピッチを上げていって?
 徐々に上げてって。セクションごとに、セクションAでまた少し上げていってって。で、ちょうど曲の最後のセクションで、ちょうど半音ずれるようにやったの。だから大変だったよ、ダビングした時。エンジニアの人が大変だったね。
録った時はそのままのコードで演奏するわけですよねえ?
 録った時に、ピッチを変えながら録っていって、プレイバックする、ダビングする度にピッチ戻しながらやってないと、ずれてちゃうんだよ。それが大変なんだよね。
難しいですね〜
 難しいよ!けっこう。
何テイクも録らないとうまく行かないですよねえ?
 何テイクも録らなきゃできないし、全部ダビングしなきゃだめだし。

 でやって、それどういう意味があるかっていうと、コピーしようと思ったら段々音がずれてくだけで(爆笑)、コピーしようと思わなかったら何にも気が付かない(爆笑)っていう。バカですよね〜、ホントに。そんなことばっかりやってるんだよね、あのアルバム。あれ、変なことやったよね〜(笑)。

 あのアルバム、ブラジル版がでてるんだよね、ボク持ってるけど、そっちの方が音いいよ。コンプレッサーがバンとかかってて。

カッティングが違う?
 カッティングが違うんだね。もっと、ポップ・アルバムみたいな音がしててね。
「なすちゃ」は、四人囃子の名曲はなんですかって尋ねると、四人囃子をよく知ってる人は「なすちゃ」って答えるほどだと思いますけど、いかがですか?
 (笑)フォーカスみたいだよね、あの曲は。フォーカスってプログレじゃないのかね?あれは。
ジャンルではプログレって言われますね。
 だよね。だからフォーカスみたいなぐらいのサイズのバンドになれたらいいなと思ったことあるよね、ボクは。あんまり大仰なこと言わないで(笑)
日本だとイマイチ聴かれてないみたいですけどね。
 「ヨイレレ、ヨイレレ」(笑)になっちゃうからな(笑)。

 ヤン・アッカーマンってギターの人、むちゃくちゃ上手いよね。あの人いまジャズやってるよね。ジョー・パスといっしょになってたよ、だって。もうバリバリのジャズ。4ビートしかやってないんだよね。

 

「空と海の間」とレスポール

次は「空と海の間」ですけど、まあアメリカン・ロックかなという感じですが・・・
 そうでしょう。そうですけど、あんなアメリカン・ロックはないけどね。まあ雰囲気はそういう感じで。
あの間奏の静かな部分が謎なんですけど。
 最初の所だけだと、なんか曲として薄いなと、ですぐああいう風にしちゃうんだよね(笑)
あれ弾いているとギタリストは気持ちいいですよねえ?
 ね。あの途中の所は気持ちいいよ。

 それであの頃、ジャズを勉強してたから、ちょっとそういう雰囲気も出てる。

 あれ、ギターがいい音してるよね。あの時に使っていたアンプとギターは気に入ってるんだ。
 アンプはジャグ・ボックスっていうやつの試作品で、1台しかないやつでミューズって名前が付いていたけど、それがいい音で。まあ、なんてことないブギーの回路のコピーなんだけど、すっごいいい音したね、あのアンプは。歪んでないんだけど伸びるんだよね。

 あのアルバムのギターの音はけっこう好きだな。結構レスポール使ってるんだけどね

ああ、そうなんですか?
 うん、「フライング」とかもレスポールだし。

 

ネッシーはそういう生き物なんだ!

では、いよいよネッシーですが・・・
 あれはよく繋がったよな(笑)あれでも面白いよね。目まぐるしいこと目まぐるしいこと(笑)
ギターですけど、途中の所で、なんていうのかな、うらぶれたサーカスの楽団みたい雰囲気の、「カーニバル」でも使われているような、ああいったのはお好きなんですか?
 もっとそういう雰囲気が出せればいいんだけどね(笑)。あれはプロコル・ハルムの影響じゃないかな。
コーラスについては?あれは恥ずかしいとか、例えば反対された方はいないんですか?
 いや〜、もうみんなでやれば怖くないみたいな(笑)。だって、オリジナルがああだからねえ、しょうがないよねえ。
ステージでもやってましたよねえ?
 やってたよ。ちょっと恥ずかしかったけどしょうがないかって。ね、曲として、あれがないと歯抜けになっちゃうから。
「ネッシー」って、坂下さんの作られたのは歌詞のある部分?
 いや、そんなことないよ、全部だよ。
じゃ、もともと・・・
 もともとああいうのがあって、それを細かく、みんなで変えていっただけで、骨組みはああだよ。
最初から?
 うん、最初から。
レコード出るまで、なんかライブに行く度に違う曲のようにも聞こえたんですけど・・・
 ねっ、ように聞こえたんだけど・・・まあ、そういう生き物だしね(笑)
(笑)なるほど!うまくオチがついちゃった!(笑)
 (爆笑)

 

「レディ・ヴァイオレッタ」はボズ&富田さん?!

じゃ最後、「レディ・ヴァイ」ですけど・・・
 これはねえ、「ヒア・トゥ・ステイ」っていうボズ・スキャッグスの曲があるのよ、そのコードをボクがなんだか、うろ覚えだかしらないけど「刷り込まれて」て、曲作る時にそれがパンってでてきちゃったのね。
 だからすごくよく似てるよ、その曲と。コード進行も。後で自分も気が付いたんだけど。
後で気が付いた(笑)。パクったわけではないと、はっきり書いとかないと!(笑)
(爆笑) でもメロディー・ラインは全然違うよ
コード進行ですよね。
 いわゆる「トゥー・ファイブ」の、バラードによくある・・・
でもコード進行なんて、似てる似てない言っててもきりないですよね、というか、先程お話のように、自由はあまりないわけですし・・・
 でも、あれはなんか、何気なく出来た曲のわりにはいい曲だと思うけどね。

 あとねえ、「月の光」みたいのを作りたいなと思って、メロディーをなぞっててできたんだよね。よく聴いてたんだ、富田(勲)さんの「月の光」を。今でもよく聴くんだけど、いいよね、あれプログレだね(笑)

「レディ・ヴァイ」はファン、ギタリストのファン多いですよ!
 ねえ。だって、「ニュー・ミュージック共和国」とかいう番組でずーっと、10年ぐらいテーマ曲になってたみたいだよ。俺、その番組1回も聴いたことないけど(笑)
やっぱり、ギタリストはこれを弾いて一人恍惚状態に入るという・・・
 (笑)
気持ちいいらしいです!
 ちょと、サンタナみたいでいいじゃない(笑)
「レディ・ヴァイ」のシングルは、フルートなしヴァージョンですが・・・
 それはディレクターの意向で。「ギター・ソロのやつも作りましょう」ってことで。
どっちがお好みですか?
 ボクはフルートありの方が好きだね。
 浜口茂外也くんって、パーカッションの彼とその頃よく遊んでいて、是非やってもらいたいなと思って、そういうアレンジにしたんだよね。
あいだの部分、っていうか後半のところは、あれはボサノバなんですか?
 ちょっとサンバっぽいよね。うん、イン・トゥーで。
 なかなかああいう風なノリが出来なかったんだよね、あのバンドは。
 で、なかなかいいテイクなんじゃないかね、あれは。みんな気持ち良くてやめないんだよ(笑)

 

これから・・・いいギターといいアンプ

ま、1回目のインタビューということで、ここら辺で終わりにしたいと思うんですけど、最後にやはり大事な現在の森園さんということで少しお聞きしたいんですが、今めざされている音楽は?
 前も、「ヴィンテージ・ギター」のアルバムを作ったんだけど、よりそれの・・・「へ〜、こんな音もするんだ」的な、ギターのいい音のするアルバムを作りたいなとは思ってる。
ギターの音にこだわる?
 うん。いい楽器というか、結局、何で古いギターが良くて新しいギターがつまんないかって言うと、レスポンスが全然違うんだよね。
 出てくる音は、録音しちゃえば、ホントに335だかテレキャスだかなんて分かんないんだよね。ボクらが聴いても。ずーっとテレキャスターだと思ってたらレスポールだったりとか、するぐらいに録音しちゃうと似たり寄ったりなんだけど、でもレスポンスはことごとく違うんだよね。

 それで、自分のレスポンスに合った楽器に会うと、これはもうホントに楽しいんだよね。同じフレーズ弾くのも。それとかあと、チューニングのいい楽器というのがあって、ドミソって弾いただけで、ものすごくいいドミソが出るギターがたまーにあるんだよね。そうすると、それまではしょうがなくメジャー・セブンを弾いてるわけよ。倍音が乏しいから。でも普通のCならCを弾ける時の、この気持ちよさったらないのよね。

 そういう楽器で作る曲ってまた違うんだよね、出来もね。ホントいい楽器に出会うのもすごい大事で、どうしても古い楽器に行っちゃうんだけど。
 ここ10年ぐらいはけっこう楽器のことばっかりやってて、ようやくいい音のするアンプとギターが手に入ったなと思ってるんで、ちょと音源を残しておこうかなと思ってるんだ。

アンプは、「ブッダ」?
 うん、「ブッダ」。
 あれもねえ、真空管を何十回となく取り替えて、ようやく今、今くっついているのがベストだね。もーのすごくいい音する。
 あのアンプ自体は、回路はいたって単純だから、付けるパーツでどんどん変わっちゃうんでね、それこそコンピュータのカスタマイズと同じで。
むしろ単純、コンパクトな方がいじれる?
 そうだよね。

 最近売ってるアンプって、もう「つまみ」が多すぎるし、余計なもんがくっつき過ぎてて、いい音のするアンプはちっともないね。便利なアンプはいっぱいあるけど。つまんないよね、それは。
 で、日本はアンプの市場が乏しくて、アメリカにはいいアンプがいまだに出続けてるんだけど、全然入ってこないね、日本に。入ってきても、すーごい高かったりする。
 で、まあ、ホントに違うから(笑) アメリカではほとんど真空管のアンプしか作ってないよね。ソリッドはもう、JCが最高っていう。JCは奇蹟のアンプって言われてるんだよね

 

これから・・・いい音!

では、楽器とアンプは揃ったところで、どういう音楽を?
 別に音楽的にはそんな大それたこと考えてないんだけど(笑)、まあこのギターいい音だなってアルバムが作れたらいいよね。
音を大事にする?
 うん。それにデジタルになったから、余計、楽器の数が少なければ少ないほどいい録音ができるよね。デジタルだと。リズム隊にはアナログ使いたいですけど(笑)
そういえばついこの間、ソロ3枚がCDでようやく再発されましたけど(「バッド・アニマ」、「エスケープ」「クール・アレイ」)・・・
 あっ、(ジム・)ケルトナーに送らなきゃ!(笑)送ってないんだよね。またケルトナーとやりたいな(笑)
ご自身で、いま聴いてみていかがですか?
 結構いいことやってんじゃないかな(笑) ボクは気に入ってますけどね、やっと出て嬉しいなと思ってる。
3枚それぞれ、方向は同じでも色が違うというか・・・
 そうだね。なんつったって、あの「エスケープ」は、「スウィング・ジャーナル」で3等賞になりましたからね(笑)ビックリしちゃいましたけど(笑)
だからCD屋さんに行っても売り場が違うんで・・・
 ねっ、ジャズのコーナーに入ってる(笑)。素晴らしいですね、これは(笑)。ヤン・アッカーマンか俺は?!
(爆笑) それについていかがですか、ご自身では?
 いや、全然、どこに置いてくれても。
関係ないですよねえ?
 うん、関係ない。
でも、ファンからするとなんかぁ・・・
 とまどっちゃう?
はい、とまどっちゃう(笑)
 そこら辺も・・・笑えないと(笑)
(爆笑) どうやってまとめようかな、このインタビュー(笑)・・・
 次はどのコーナーに出そうかな〜(笑)
(爆笑)

 

ファンからの質問2発!

まとまりつきそうにないんで(笑)、最後に1っこ質問、あっ、その前に囃子ページにいただいたファンの方からのご質問を2つほど。まず、星野さんという方から昨年末にいただいたんですが、「66年製の名演の数々が生まれたあのストラトは今どうなっているのでしょうか?いまでもグレコのピックアップが付いたままなんでしょうか?」という質問ですが・・・
 あ〜それはもうないですね
どっかに行っちゃった?
 いや、バラバラになちゃった(笑)
バラバラ状態!(笑)どっかに生き残ってる?
 うん、どっかに生き残ってる(笑)
でもバラバラ殺人?!(笑)
 (爆笑)
で、次ですが、今年の2月に田村雄司さんからいただいた、「3月22日、森園さんのお祖母さんの命日にギターをお酒で拭いたりして手入れをされるというインタビュー記事を昔、読みました。「ジンとかウォッカとか白いお酒がいいんだよね。今は剣菱で磨いている。」というような話だったと思うのですが、今でもこの日にお酒でギターを磨いてらっしゃるんでしょうか」というご質問ですが・・・
 それはねえ、磨きすぎてギターがブヨブヨになっちゃいました(笑)
えっ(笑)、ブヨブヨに?!やりすぎてギターがふやけちゃったわけですね?(笑)
 (爆笑)そうそう(笑)

 

音楽シーンより、ライブ・ハウスに来てよ!

さって、それではホントの最後ですけど、現在の音楽シーンについて。まぁ、シーンが細分化されてますから、一言でいうのは難しいと思いますけど・・・
 あの金子マリさんの息子さんが、チャーの息子とバンドやってて、いまトラック・ダウンしてるのかな。
昨年日比谷でベース弾いていた?
 じゃなくてお兄ちゃんの方、お兄ちゃんの方がドラムやってて、チャーの息子がギターやってて、「ライズ」ってバンドやってて、もうすぐアルバムがでるのかな。
 素晴らしいですよ、それは。オルタネイティブの極地だけど(笑)。ソロを弾かないギタリスト(笑)。JCAはラップとギターなんだよね。「ヨー」で。何言ってんだかさっぱりわかりませんけど(笑)。
 すごいカッコイイよ。トキエちゃんって女の子のベースなんだよね。ウッド・ベースみたいので、3人のバンド。
まあ、そんなバンドも出てきているし、チャーが「じじい」になって、いっつもセガレのレコーディング覗きに行ってるみたいだけど・・・宇多田ヒカルって歌ウマイよね。だって(笑)
森園さん、わざと話しそらしてません?(笑)
 (爆笑)いやいやいや、そんなことは(笑)
今日の冒頭のお話からすると、森園さんの時代ですでに上の世代で形が出来てたっていうことからすると、今の若い子、っていったら、もう出来てるどころじゃないじゃないですか?いかにスキマを探すかと・・・
 ねえ、色々大変だと思うよ(笑)今の子は(爆笑)。
 チャージ・バックでやってくれる店もあんまりないしさあ。本当に可哀想だよね、それは。最初っから自分たちでフライヤー刷ってさあ、なんかそういう細かいことから入って行かなきゃならないから、なかなか音楽どころじゃないよね。

 それでも結構面白いことやってる子はいるからね。あれは大したもんだと思うよ。 あと、深夜のFMで、何もコメントなしに、ただ曲をバーっと流してるのあるじゃない。日本のバンドでも。すごい格好いいバンドがいくつかあるんだよね。でも、誰だか分かんないんだよね、何も言わないから。それ聴いてて、「わっ」と思うバンドいくつかあったよ。すごいなこれはって。それがねえ、たぶん30前後の子だね、やってるのが。すごいいいことやってんだよね。そういう子がもっと出てくればいいのにな〜とおもって。
 前、リトル・クリチャーズってバンドがあったでしょ。あのバンドもぼく好きだったんだけど、ビックリしちゃうよね。あんまり達者で(笑)

まぁ、音楽シーン全体の批評って難しいですよね・・・
 ねっ。どうしたって今、産業だからね(笑)
メジャーなところはそうですよね。
 そこには変な、期待は持たないんだけど、音楽は色んなことが出来るから、なんか1つの方向だけになっちゃったらつまんないよね。
もっと色んな方向がそれぞれにあると面白いんだけどな。

 でもライブ・ハウスじゃ面白いことやってる人はいるみたいで。ボクもなかなか見にゆくチャンスないけど。

 ボクなんかもここ2、3年、今までで一番ライブやってるんじゃないかな。面白い時はすごい面白いし・・・いっつもその場で消えてゆくからいいよね、ホントに。あんまりテープも録らないようにしてるんだ、最近。「今日はよかったんじゃないかな」ってのがたまにあるしね。やっぱり、やればやるほど面白いよね。

森園ファン、四人囃子ファン、もっとライブ・ハウスに行きましょう!そこには面白いことあるよ!って方向でインタビューがまとまりつつありますな。しめしめ・・・(笑)
 (笑)
ここらでファンへのメッセージということで・・・
  ボクが知ってる音楽で、すごくいいと思ってて、まだみんなが聴いたことないようなのがいくつかあると思うんだよね。
 だからそれを作って、聴いてもらえたらなと思ってます。
是非!ぜひ!お願いしたいと思いま〜す! ということで、本日は長時間ありがとうございました〜